古代史探訪

enkieden.exblog.jp
ブログトップ

冬至の日の出・日の入り

 夏至(今年は6月21日)を過ぎると徐々に日照時間が少なくなっていき、冬至(今年は12月21日)になると太陽の高さが最も低くなり寒いので、古代では冬至の日に太陽の力が最も衰えると考えられていた。

 初日の出を拝む信仰は現代でも一般的であるが、冬至の日没後は翌日から日照時間が伸びていくので、冬至の日の入り信仰は「太陽の力の復活」を祈願する。
 冬至祭はヨーロッパではクリスマスに姿を変え、イランのミトラ教冬至祭儀など冬至祭は世界中で行われている。日本の神社で冬至祭を執り行っているのは百社以上あるようです。
 古代では冬至の日か翌日を新年とする場合が多く、日本の古代も冬至の翌日が元旦であった。春分と秋分を始まりとすることもあった。(春秋年)

 箸墓古墳の主軸は「夏至の日の出方向」を向いているが、日の出ラインを前方部方向に延長すると「冬至の日の入り方向」になる。
d0287413_0552452.jpg

 大阪市住吉区住吉の住吉大社は西向きで瀬戸内海方向に向いているが、当地では元々冬至の日の出を拝んでいたと考えられる。太陽パワーの復活を祈ったのでしょう。
 住吉大社では冬至の日の出が大和国と河内国の境にある二上山の二峰の間から昇る。
d0287413_0555345.jpg

 この地を治めていた豪族は海人族の田裳見宿禰(たもみのすくね、西暦320年頃出生)で、天火明命(西暦140年頃出生)の13代目の子孫と称しているが疑問もある。
 田裳見宿禰は神功皇后の新羅遠征にも従軍し、子孫の津守氏は住吉大社の宮司家として連綿と続いている。
 津守の語源は「津の守り」で港の統括を意味すると考えられる。住吉大社については2013年12月5日、8日、12日投稿の「住吉大社①」「住吉大社②」「住吉大社③」をご参照ください。

 三重県伊勢市では古くから太陽信仰があり、夏至には伊勢神宮近くの二見浦夫婦岩の中央から日が昇り、冬至の前後には伊勢神宮・内宮の宇治橋の鳥居真正面から日が昇るようになっています。
 夏至の朝日が昇る三重県伊勢志摩の二見浦夫婦岩と、夕日が沈む福岡県糸島市(怡土)志摩桜井の二見ヶ浦夫婦岩の縁で伊勢市二見町と糸島市志摩町は姉妹自治体となっている。
 猿田彦が取り持つ縁でしょうかねぇ・・・
 大分県佐伯市上浦の海岸にも豊後二見ヶ浦があり、3月上旬と10月上旬に夫婦岩の間から朝日が昇る。

 車折神社(くるまざきじんじゃ、京都市右京区嵯峨朝日町23)では、冬至から立春まで「一陽来復、いちようらいふく」のお守りが授与される。陰気を退けて陽気を迎えることで家の中が明るくなるお札です。
 一陽来復とは冬至を表す言葉で、「陰極まって一陽が生ずる」という意味です。新年になること、よくない事があっても、やがて良い事が巡ってくること。
 東京都新宿区西早稲田の穴八幡宮は一陽来復のお守りが有名で、冬至には長蛇の列ができるようです。

 神社では夏越の大祓(なごしのおおはらえ)を6月末頃に、年越しの大祓を12月末頃に行いますが、夏至と冬至の日に行うのが本来でしょうね。
 古代の暦では冬至、春分、夏至、秋分が月末になっていたのでしょう。

 次回は冬至の日の入り方向を向いた神社をご紹介します。
[PR]
by enki-eden | 2016-06-25 00:53