古代史探訪

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破磐神社(はばんじんじゃ、姫路市)

兵庫県姫路市西脇1598  電079-269-0572  駐車場あります。
祭神  息長帯日売命(神功皇后)、
    帯中日子命(たらしなかつひこのみこと、14代仲哀天皇)、
    品陀和気命(ほむだわけのみこと、15代応神天皇)、
    須佐之男命(明治40年に合祀)。

 神社の由緒によると、息長帯日売命(神功皇后)が三韓を討征し凱旋された時、忍熊王(おしくまのみこ)の難があったので船を妻鹿の湊(姫路市白浜町)に寄せられ、三野の荘・麻生山(あそうさん、172m、播磨小富士山)で天神地祇に朝敵退治を祈られたところ、大己貴命の神託により一夜のうちに麻が生じ、その麻を弦として三本の矢を試射された。
 第一の矢は印南郡的形(まとがた)に虚矢となって落ち、第二の矢は飾磨郡安室辻井に、第三の矢は太市郷西脇山中の大磐石に当たって磐を三つに割った。
 神功皇后はこれを吉兆としてこの地に矢を祀られ、後に仲哀天皇・応神天皇の二柱を崇め奉り破磐三神として奉った。
 この磐は当神社の西南1.7kmの地にあって現在宮ヶ谷(みやがだに)と呼ばれている。大磐石は高さ6.5m、巾5.5m~6m、奥行き7.5mある。この山地は狭隘で祭事に煩があるので、当社は17世紀に現在地に遷座した。
 神仏混淆の時代には三所大権現と称したが、明治の神仏分離令の布告により、破磐神社に復した。明治40年(1907年)に建速神社(須佐之男命)を合祀した。
 
  赤が破磐神社、黄が「われ岩」


 この破磐神社の起源について、
   神のさち 吹風弓の かふら矢と いかで岩をも 通ささらめや
 と詠まれている。

 神社の1.7kmほど南西の地が神社起源の地で、神功皇后(321年-389年)由来の「われ岩」がある。小高い丘になっており、周りは鬱蒼とした竹林だ。
 近くに墓地があるので、そこに車を停めて歩く。
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  われ岩から1.7km北東に鎮座の神社入口の鳥居(二の鳥居)と社号標、
  神額は両部額になっている。
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   拝殿
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   本殿
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 拝殿右に手前から招魂社、稲荷神社(保食命、うけもちのみこと)、
 天満神社(菅原道真公)。
 天満神社の社は当地に遷座した時に本殿として建築されたもの。
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   境内
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 神社の創建は神功皇后が新羅遠征からの帰途であるので、西暦363年頃と考えられる。神功皇后は遠征前の事始めとしても麻生山で弓を放つ神事を行っている。2015年3月12日投稿の「生矢神社」をご参照ください。

 破磐神社の中田宮司は人情味溢れる方だと聞いていますので、お会いしたかったですが残念ながら私の参拝した時にはご不在でした。
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by enki-eden | 2016-09-29 00:43