古代史探訪

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武大神社(ぶだいじんじゃ、姫路市川西)

兵庫県姫路市川西231   駐車スペース2台分あります。
祭神 須佐之男命
夢前川(ゆめさきがわ)と菅生川(すごうがわ)の合流点、神奈備山の麓に鎮座。



 祭神を5.5km北東に鎮座の廣峯神社から勧請。江戸時代には牛頭天王社とも称した。
 廣峯神社については2015年3月1日投稿の「廣峯神社①」と5日投稿の「廣峯神社②」をご参照ください。
 現在の社殿は1822年に再建、境内の広さは225坪。

   鳥居と社号標
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   拝殿
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   拝殿左に境内社
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   稲荷神社
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 当地周辺は素戔嗚系神社が多い。850m北西の飾西大年神社の祭神は大年神。そのすぐ北にある田守神社の祭神は素戔嗚命。
 当社から1km北の簔尾神社の祭神は大年神、大山咋神、倉稲魂神。850m東の安室神社の祭神は蛭子命(恵比寿)。

 当地に限らず、全国の神社の祭神は素戔嗚命(西暦140年頃-200年頃)とその血統・系統が多くを占める。それは素戔嗚が全国を治め、皇室の基礎を造ったからです。各地の豪族や庶民も素戔嗚を崇敬していた。
 ところが、記紀の完成した50年位前に「白村江の戦い」が勃発、日本は唐と新羅の連合軍に大敗した。4万人が出兵して1万人が戦死した。
 新羅と縁が深いと考えられた素戔嗚の印象は極端に悪くなり、記紀には大悪人として描かれることになる。しかし、白村江の戦いから160年過ぎた52代嵯峨天皇(786年-842年)の時代になると、間違えた感情論も消え、嵯峨天皇は「素戔嗚尊は即ち皇国の本主なり」と称えた。
 私見ですが、素戔嗚は江南人(倭人)の中の楚系であると考えています。列島には楚人の人口比率は低いですが、文化程度も高く武力も強かった。その最有力子孫が物部氏です。
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by enki-eden | 2016-10-10 00:10