古代史探訪

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大歳神(おおとしのかみ)

 大歳神は出雲国風土記に神須佐乃烏命(素戔嗚、140年頃-200年頃)の子として登場する。
 大歳御祖命(おおとしみおやのみこと)、大歳御祖皇大神(おおとしみおやすめおおかみ)として祀る神社もある。大歳神の母・神大市比売を大歳御祖神とする場合がある。
 古事記・先代旧事本紀では「大年神」と表記。
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 大歳神と饒速日命(にぎはやひのみこと、165年頃-225年頃)は同一神と考えられるが、記紀や先代旧事本紀では別神になっている。
 先代旧事本紀では大歳神は素戔嗚と神大市姫の子としており、饒速日尊は天照大神の長男・天押穂耳尊と高皇産霊尊の娘・万幡豊秋津師姫栲幡千千姫命(よろずはたとよあきつしひめたくはたちぢひめのみこと)の子としている。(上記系図の下段)
 系図の下段に示したように、先代旧事本紀では饒速日(天神)を海部氏・尾張氏の祖である天火明(あめのほあかり、天孫)と同じにしている。天火明は素戔嗚や高皇産霊と同じ頃、140年頃に出生しており、饒速日とは別神で系図も混乱している。

 先代旧事本紀では饒速日命の正式名を天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)と表している。
 天火明(140年頃出生、海部氏・尾張氏の祖)と饒速日(165年頃出生、物部氏の祖)の名を一つに繋いで両者を同じ神としているが、天火明の子孫の尾張氏は饒速日を祖神とは見ていない。
 物部氏は祖神の饒速日を天孫の天火明と同じ神と主張し、物部氏も天神ではなく天孫だと主張したかった。

 記紀と同様に、815年に52代嵯峨天皇(786年-842年)によって編纂を命じられた新撰姓氏録にも、饒速日の後裔は天神になっている。
 新撰姓氏録と同じ9世紀初め頃に編纂された先代旧事本紀は、饒速日の子孫である物部氏によって編纂されたと考えられ、新撰姓氏録と連動している。

 記紀には素戔嗚が高天原から追放され、天つ神(天神)から国つ神(地祇)になってしまった。物部氏の祖神である饒速日は素戔嗚の子であるが、物部氏が軍事・祭祀を司る有力氏族であり、饒速日が神武天皇(181年-248年)より先に185年頃に東遷して大和国を治めているなど、その重大すぎる存在は無視できず、記紀には饒速日は天照大神の子孫に取り込まれてしまい、物部氏は天神になっている。

 587年に物部守屋が蘇我氏に滅ぼされたが、饒速日の子孫の物部系氏族は新撰姓氏録に記されている神別氏族404氏の内で105氏ほどもある大豪族になっている。例えば、「左京 神別 天神 石上 朝臣 神饒速日命之後也」、「左京 神別 天神 穂積 朝臣 石上同祖 神饒速日命五世孫伊香色雄命之後也」などです。
 2015年7月23日投稿の「饒速日命」をご参照ください。

 天火明を氏祖とする海部氏・尾張氏・石作氏・笛吹氏などは天孫氏族で55氏族以上ある。例えば、「左京 神別 尾張 連 尾張宿禰同祖 火明命之男天賀吾山命之後也」で、尾張氏と物部氏は同盟関係にあっても明らかに別系統です。
 先代旧事本紀には大歳神はそのまま素戔嗚の子であるとした。系図は時代背景による思惑や、誓約による記載変更のほか、間違いも多いので注意が必要。

 大歳神(大年神)は農業神、穀物神で、雨量の少ない瀬戸内海気候の地域に灌漑用の池や水路の建設を勧め、農産物の生産量を増大させた。兵庫県では400社近い大歳神社(大年神社)が鎮座しており、大歳神の神徳の大きさが窺われる。

 忌部氏は平安時代前期(803年)に「斎部氏」に改めて、斎部広成が807年に「古語拾遺」を表して一族の主張をしたが状況は変わらず、中臣氏の勢力に押され存在感が無くなった。忌部氏については、2014年8月20日投稿の「忌部氏」をご参照ください。
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by enki-eden | 2016-11-15 00:32