古代史探訪

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舟木遺跡の鉄器工房跡(淡路市)

 兵庫県淡路市舟木(旧・津名郡北淡町)にある「舟木遺跡」は弥生後期の高地集落遺跡で、淡路島北部中央部の標高160mほどの山間にある。1世紀中頃に突然出現したので、海岸部から移住してきたのでしょうか。
 弥生時代末期(2世紀中頃~3世紀初め)に存在したとみられ、1966年に発見された。面積は東西500m、南北800mの約40万㎡(12万坪)。

 淡路市の教育委員会が舟木遺跡を発掘調査し、新たに鉄器生産工房跡から鉄器57点などが発見され、手工業品生産工房跡も見つかったと1月25日に発表された。
 舟木遺跡は過去に淡路市黒谷で見つかった近畿最大の鉄器生産工房「五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)」を上回る国内最大規模の鉄器工房跡の可能性があり、今後も発掘調査が続けられる。
 五斗長垣内遺跡(標高200m)は1世紀中頃に突然出現した高地集落であるが、舟木遺跡も2世紀中頃に突然出現した。

 西暦180年頃に勃発した北部九州の「倭国乱」により、倭国から淡路国へ隠遁した伊弉諾尊の幽宮(かくりのみや、伊弉諾神宮)は両遺跡に近く、関係があると私は考えています。その頃(2世紀末)に両遺跡は最盛期を迎える。伊弉諾神宮については2013年5月3日投稿の「伊弉諾神宮」をご参照ください。
 赤が舟木遺跡、黄が五斗長垣内遺跡(ごっさかいといせき)、紫が伊弉諾神宮


 五斗長垣内遺跡の鉄器生産が終わった後も、舟木遺跡では少し鉄器生産が続き、やがて終了する。高地集落は大和国(天皇家)が強大になり近畿地方を中央集権的に支配するようになると消滅していった。弥生時代の一つの特徴である銅鐸祭祀も消滅し、古墳時代に突入していく。

 淡路市教育委員会は「淡路市国生み研究プロジェクト」を立ち上げて、昨年と一昨年に舟木遺跡などを調査し、国生み神話との関係を掘り下げる取り組みをした。
 出土した土器の年代から、工房があったのは2世紀後半とみられる。4棟の大型竪穴建物跡のうち、3棟は敷地が円形で直径が10mを超える大型で、うち1棟から4基の炉の跡が確認された。柱が外側に寄り中央部が広いことから、作業をする空間だったと考えられる。
 また4棟から鉄器製作に使った石器が多数出土、鉄器は計57点あった。鍛冶関連のほかに小型工具も出土した。

 2009年に工房12棟と鉄器127点が出土した五斗長垣内遺跡では、鉄鏃(てつぞく、矢じり)などの武器類が多く出土したが、舟木遺跡では武器以外の鉄製品が出土した。両遺跡は6km離れており、ほぼ同じ時期の工房なので、製造する品種を分けていたのかもしれない。

 古事記の国生み神話によると、伊邪那岐命と伊邪那美命が最初に生んだのが淡道之穂之狭別島(あわぢのほのさわけのしま)とあるが、その意味は「粟の穂の穀霊の島」と云う説がある。「淡(あわ)」は「海の泡」とも云われるが、私見では「淡(あわ)」は鳴門海峡の渦、「穂」は踏鞴製鉄の「火」と考えています。淡路島は海人の国であると同時に製鉄の島だった。
 淡路国の考古学については、2013年9月3日投稿の「淡路国の考古学」をご参照ください。
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by enki-eden | 2017-01-27 09:58