2017年 03月 02日
東天神社(ひがしてんじんじゃ、伊丹市)
兵庫県伊丹市昆陽(こや)4丁目1 電072-781-3577
車は境内に停められます。
祭神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冊尊(いざなみのみこと)。
猪名野(いなの)総社、息災延命長寿のご神徳。
8世紀前半に行基法師(668年-749年)が昆陽池と周辺を開拓した時に事業達成の祈願所として創建。行基は各地で溜池や水路造りを指導した。昆陽池は伊丹空港(大阪国際空港)から飛び立つ飛行機からよく見える。
当社は昆陽村の東の氏神、西の氏神は西天神社(伊丹市昆陽北1-5-21)で同じ祭神を祀る。
ご朱印、神紋は「立ち葵」

伊丹市の北方の山間部に、兵庫県川辺郡(かわべぐん)猪名川町(いながわちょう)がある。猪名川町には1973年に閉山した多田銀銅山があり、埋蔵量は全国一と云われたほどであった。2015年に多田銀銅山遺跡が国の史跡に指定されている。
猪名川町から猪名川が南方に流れ、川西市、伊丹市、尼崎市に至り、神崎川に合流している。途中、伊丹空港(大阪国際空港)の西側を流れている。空港の地下には弥生遺跡の岩屋遺跡、勝部遺跡などがある。
猪名川流域の台地は猪名野と呼ばれ、伊丹市、宝塚市、池田市、尼崎市にまたがる。
イナは鉄の古語だから猪名川町は踏鞴製鉄が盛んだったと考えられる。テツ、タタラ、サヒ、サビ、サナ、シナなど鉄を表す古語は多い。
稲佐山(いなさやま)、犀川(さひかわ)、信濃(しなの)、更級(さらしな)などは踏鞴製鉄と関係あるでしょう。
播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)、素戔嗚の鉄剣・韓鋤(からさび)、稲荷(いなり)も鉄が由来だと考えられる。漢字の稲を使う場合は後代に農業関連に結び付けられることがある。
吉備国発祥の円筒埴輪は古墳に多く使用されており、その形は踏鞴製鉄に使われた炉(踏鞴)が原形である。吉備国の枕詞は「真金(まがね)吹く」で、吉備は踏鞴製鉄の最も盛んな地域であった。
鳥居と社号標

拝殿、1970年に鉄筋コンクリート銅板葺きで改築された。


本殿は覆屋の中に鎮座。

拝殿右脇に、少名彦神社、戎神社、諏訪神社、金刀比羅神社。

拝殿左脇に、八幡神社、皇大神社、愛宕神社、春日神社。

境内奥に稲荷神社

庚申(こうしん、青面金剛)、右側。

当社と同じく伊弉諾尊を祀る伊弉諾神宮については、2013年5月3日投稿の「伊弉諾神宮」をご参照ください。
倭王の伊弉諾尊は西暦180年代の倭国乱(北部九州)により失脚し、淡路島(淡路市多賀)に隠遁して宮に住み、185年か190年頃に亡くなった。伊弉諾尊の神陵の上に伊弉諾神宮の本殿が建てられた。
車は境内に停められます。
祭神 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冊尊(いざなみのみこと)。
猪名野(いなの)総社、息災延命長寿のご神徳。
8世紀前半に行基法師(668年-749年)が昆陽池と周辺を開拓した時に事業達成の祈願所として創建。行基は各地で溜池や水路造りを指導した。昆陽池は伊丹空港(大阪国際空港)から飛び立つ飛行機からよく見える。
当社は昆陽村の東の氏神、西の氏神は西天神社(伊丹市昆陽北1-5-21)で同じ祭神を祀る。
ご朱印、神紋は「立ち葵」

伊丹市の北方の山間部に、兵庫県川辺郡(かわべぐん)猪名川町(いながわちょう)がある。猪名川町には1973年に閉山した多田銀銅山があり、埋蔵量は全国一と云われたほどであった。2015年に多田銀銅山遺跡が国の史跡に指定されている。
猪名川町から猪名川が南方に流れ、川西市、伊丹市、尼崎市に至り、神崎川に合流している。途中、伊丹空港(大阪国際空港)の西側を流れている。空港の地下には弥生遺跡の岩屋遺跡、勝部遺跡などがある。
猪名川流域の台地は猪名野と呼ばれ、伊丹市、宝塚市、池田市、尼崎市にまたがる。
イナは鉄の古語だから猪名川町は踏鞴製鉄が盛んだったと考えられる。テツ、タタラ、サヒ、サビ、サナ、シナなど鉄を表す古語は多い。
稲佐山(いなさやま)、犀川(さひかわ)、信濃(しなの)、更級(さらしな)などは踏鞴製鉄と関係あるでしょう。
播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)、素戔嗚の鉄剣・韓鋤(からさび)、稲荷(いなり)も鉄が由来だと考えられる。漢字の稲を使う場合は後代に農業関連に結び付けられることがある。
吉備国発祥の円筒埴輪は古墳に多く使用されており、その形は踏鞴製鉄に使われた炉(踏鞴)が原形である。吉備国の枕詞は「真金(まがね)吹く」で、吉備は踏鞴製鉄の最も盛んな地域であった。
鳥居と社号標

拝殿、1970年に鉄筋コンクリート銅板葺きで改築された。


本殿は覆屋の中に鎮座。

拝殿右脇に、少名彦神社、戎神社、諏訪神社、金刀比羅神社。

拝殿左脇に、八幡神社、皇大神社、愛宕神社、春日神社。

境内奥に稲荷神社

庚申(こうしん、青面金剛)、右側。

当社と同じく伊弉諾尊を祀る伊弉諾神宮については、2013年5月3日投稿の「伊弉諾神宮」をご参照ください。
倭王の伊弉諾尊は西暦180年代の倭国乱(北部九州)により失脚し、淡路島(淡路市多賀)に隠遁して宮に住み、185年か190年頃に亡くなった。伊弉諾尊の神陵の上に伊弉諾神宮の本殿が建てられた。
by enki-eden
| 2017-03-02 00:27

