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古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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伊和志津神社(いわしづじんじゃ、伊和志豆神社、宝塚市)

兵庫県宝塚市伊孑志(いそし)1丁目4-3  電0797-72-3265
無料駐車場あります。
祭神 須佐之男命(和歌の祖神、厄除けの神、縁結びの神、開発の神)

延喜式内官幣大社、摂津国武庫郡伊孑志村に鎮座。宝塚の総鎮守。
神紋は素戔嗚の木瓜紋、境内の広さは3,000坪で宝塚市保存樹林になっている。
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 武庫川が流れる伊孑志周辺は、大和朝廷と結びついていた伊蘇志臣(いそしのおみ)が8世紀後半から本拠地とし、当社を創建。伊孑志の地名にもなった。創建時の祭神は伊蘇志臣の祖・天道根命であったかもしれない。

 新撰姓氏禄によると、「大和国 神別 天孫 伊蘇志臣 滋野(しげの)宿禰同祖 天道根命之後也」とあり、天道根命は神魂神の5世の孫で紀伊国造家。川瀬造(かわせのみやつこ)、名草氏、伊蘇氏(伊蘇志)、楢原氏、滋野氏などの祖。
 天道根命は西暦185年頃の饒速日命東遷に従って大和国へやって来た。神武天皇により初代紀伊国造に任じられた。

 天道根命は天日槍命であると云う説があるが、活躍の地域も時代も違います。
 紀氏の伝承によると、素戔嗚命が筑紫紀氏の大矢女命を娶り、五十猛命が生まれたとある。私見ですが、五十猛は160年頃出生、対馬・壱岐・松浦・志摩・伊都・基肆(きい)など九州北西部を治めていた。天道根は伊都国の重臣であったと考えられる。

 素戔嗚は北部九州の西側(長崎県・佐賀県)を五十猛に統治させ、東側(福岡県東部・大分県など)を饒速日に統治させたと考えられる。物部氏の出自地域は遠賀川と筑後川周辺が多く、五十猛の統治地域や奴国(福岡市)には物部氏の出自地域が殆どない。

 日本書紀によると、
 『14代仲哀天皇(320年頃-362年)が穴門(あなと、長門国)から筑紫に入ったとき、筑紫の伊都県主(いとのあがたぬし)の先祖、五十迹手(いとて)がやって来て歓待したので、天皇は五十迹手を誉め、「伊蘇志(いそし)」と云われた。
 人々は五十迹手の国を名付けて伊蘇国(いそのくに)と云った。いま伊都国(いとのくに)というのは訛ったものである。』とある。

 50代桓武天皇の798年(延暦17年)に伊蘇志臣は滋野宿禰を賜った。伊蘇志臣の祖・天道根命は伊都国(福岡県糸島市、旧・怡土郡)出身だと考えられる。紀伊国(和歌山県)にも伊都郡がある。

 伊都国は2世紀以前に既に存在していたので、その国名が4世紀の五十迹手由来というのは後付けです。地名由来ではこの手法がよく使われる。

 先代旧事本紀によると、天道根命は天孫瓊瓊杵の降臨に従って高千穂峰(伊都国)に天下ったとあるので、その後、饒速日命に従って東遷したか。

 西宮市の廣田神社にも摂社・伊和志豆神社がある。2013年5月18日投稿の「廣田神社」をご参照ください。
 
 当社の北東1kmに宝塚大劇場があるので、宝塚歌劇団の男役の方が一人で参拝に来られていました。名前を聞けばよかったと後悔。女性の参拝者も多い。

   鳥居と社号標
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   参道
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   拝殿
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  本殿覆屋、中に本殿(宝塚市指定文化財)が鎮座、拝殿奥に見える。
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  遥拝所(八幡宮、春日大明神、天照皇大神宮、山神社、大将軍社)
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   愛宕社(迦具土神、かぐつちのかみ)、火の守り神。
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 宝塚水天宮(天御中主神、81代安徳天皇)、安産の神、水の神、商売の神。
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 水天宮(すいてんぐう)の総本宮は久留米市瀬下町265-1の「水天宮」になっており、筑後川沿いに鎮座しているが、「筑紫次郎」の筑後川は古名を千歳川(ちとせがわ)と云い、久留米水天宮の鳥居横に「軍艦千歳慰霊碑」がある。
 軍艦千歳は筑後川の古名とって命名され、艦内に水天宮を奉斎する空母であったが、昭和19年10月にフィリッピンのレイテ沖海戦で撃沈した。

印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp

by enki-eden | 2017-03-14 00:19