古代史探訪

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インダス川から縄文時代の日本列島に

 インダス文明(ハラッパー文明)は4,600年前から3,500年前にインドとパキスタンを流れるインダス川流域に栄えた都市文明である。インダス川上流や支流のアフガニスタンにも遺跡が残っている。
 インダスとメソポタミア(現在のイラク)の間にあるイラン高原にはエラム人が住んでいて東西交易を担っていたので、インダスとメソポタミアは盛んに交易をしていた。
 メソポタミアのシュメール文明は古く、5,500年前から4,000年前に栄えた。私見ですが、インダス文明もシュメール人が築いたと考えています。インダスとシュメールがエラム人を通さずに直接交易する場合は海上航路を利用した。シュメールにとってインダスが「エデンの園」だったのではないでしょうか。

 そのインダス文明はドラヴィダ人(Dravidian)が興した文明ではないかと考えられているので、私見ではシュメール人とドラヴィダ人は同じ種族になります。
 ドラヴィダ語とシュメール語は共通性があると云わているので、シュメール人がインダスに来てドラヴィダ人になったのではないか。或いはドラヴィダ人がメソポタミアに移住してシュメール人になったのかもしれない。

 3,500年ほど前にアーリア人がパキスタンとインドに侵入したことにより、ドラヴィダ人はアーリア人に支配されたが、インド南部のドラヴィダ人は古くからの文化を保っている。

 ドラヴィダ人は古くからインドに定住した民族で、現代では南インドを中心としてインド全土に居住し、スリランカ、バングラデシュ、マレーシア、シンガポール、モルディブ、そしてアフリカ寄りのマダガスカル島、セーシェル諸島などにも居住している。イギリスの植民地時代に労働力として移住させられた人も多いでしょう。
 ドラヴィダ人の特徴は二重の丸い大きな目、彫の深い顔、肌が黒く、身長は低いが手足が長く、体毛は濃く、髪の毛はカールしたり縮れている。この特徴は肌の黒さ以外は縄文人、沖縄人、アイヌ人に似ている。

 そのドラヴィダ人が3,500年ほど前の縄文時代後期に日本列島へやって来たと云う説がある。渡来数は少ないが、ドラヴィダ人が鉄や青銅を持ち込み、焼畑農業を行ったと云う。ただし、DNA分析ではドラヴィダ人と日本人は近い部分はあっても一致する部分はない。

 天皇を大和言葉ではスメラミコトと云うが、スメラ(皇)はシュメール(スメル)ではないかと云う説もある。
 天皇家の菊花紋はシュメールを含む中近東の王族の紋と同じ。2014年9月19日投稿の「菊花紋」をご参照ください。
 このブログのURLはhttp://enkieden.exblog.jp/ですが、「enki」はシュメールの神名で、「eden」はエデンの園から取っています。私が一番好きなのはgilgameshですけどね。

 やがて2,500年前になると、揚子江(長江)周辺の江南人(倭人)が数百年に亘って波状的に日本列島に逃れて来て、列島は縄文時代から弥生時代に移行していく。

 ドラヴィダ語の一種のタミル語と日本語は似ているようで、生活習慣や文化も似ているようだ。ドラヴィダ人は戦争も少なく、平和な商人中心の文化だったようだが、その点も縄文人と共通性がある。
 紀元前334年に越が楚に敗れ、越人(倭人)の多くがインドや東南アジアに逃れて、その地に言葉・文化を残しているので、ドラヴィダ人の生活地域にも倭人語や甕棺墓が残された。この倭人繋がりで日本とドラヴィダの共通性も考えられる。
 また、海の民のドラヴィダ人が沿岸部に港町を造り、交易を行い、縄文時代の日本列島までやって来たのではないでしょうか。
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by enki-eden | 2017-03-22 00:31