人気ブログランキング | 話題のタグを見る

古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

比多国造(ひたのくにのみやつこ)

 比多国造は比多国(豊後国日田郡、大分県日田市周辺)の国造で、先代旧事本紀の国造本紀によると、
 『葛城国造(大和国西部)は神武朝の御世(初代神武天皇、3世紀初め)に剣根命(つるぎねのみこと、高皇産霊尊の5世孫)をはじめて葛城国造とした』、
 『比多国造は成務朝の御世(13代成務天皇、4世紀前半)に、葛城国造と同祖の止波足尼(とはのすくね)を国造に定められた。』とある。

 神武天皇紀にも剣根命を葛城国造にしたと書かれており、比多国造になった止波足尼は高皇産霊尊(高魂命)の子孫であり、葛城国造となった剣根命の子孫でもある。
 豊後日田(比多、日高)も高皇産霊尊を表す地名になっている。日田市は大分県だが筑後川の水運により福岡県・佐賀県・熊本県とのつながりも深い。





 日田には日下部(くさかべ)氏の本拠地があり、日下部氏が比多国造となったか。日下部氏は阿蘇の氏族、高良大社の社家、肥前佐用姫の氏族、隼人と同族の氏族ほか九州に散見されるが、9代開化天皇系で但馬国造の但馬日下部氏、吉備の日下部、播磨の氏族、皇族の御名代部(みなしろべ)の氏族など全国に広がっている。
 日向日下部氏は日向国司を務め、宮崎県西都市の都萬神社(つまじんじゃ、木花咲耶姫、日向国総社)の神官でもあった。近くに西都原古墳群もある。

金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡
(きんぎんさくがんしゅりゅうもんてっきょう、国の重要文化財)
 この鉄鏡は1933年に地主の渡辺氏が発見し、日田市立三芳小学校に寄贈した。しかし、戦時中に盗難に遭い奈良の古美術商に渡る。これを考古学者の梅原末治氏(1893年-1983年)が購入。
 1964年に国の重要文化財に指定され、東京国立博物館の所有となる。

 梅原末治氏は1962年に発見者渡辺氏の案内で「金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡」が出土したと云う跡地を調査した。そして翌年の雑誌に「金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡が出土したのは大分県日田市日高町(ひだかまち)の通称ダンワラと云われる地にあった古墳の石室であった」と発表した。
 そのダンワラ古墳は30mほどの円墳だったと考えられるが、1933年の線路工事により破壊されていた。周辺には5世紀から6世紀頃の横穴墓も多数ある。付近から金錯鉄帯鉤 (きんさくてったいこう)も出土している。
 豊後三芳駅の200m東には伊勢神宮が鎮座、出土した鉄鏡などと関係ありそうだ。

 ウィキペディアによると、『1933年(昭和8年)、国鉄久大本線豊後三芳駅付近で線路の盛土を採集している際、石棺が出土し、その中から金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡などが発見された。その場所がダンワラ古墳と呼ばれるようになった。』とある。
 古墳からは鉄刀・轡も出土し、もう一つの石室からは碧玉製管玉、水晶製切子玉、ガラス製小玉なども出土したという。

 金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡は、直径21.1cm、厚さ2.5mmの反りのない鏡で、漢代の書体で「長宜(子)孫」の4文字が金で刻まれている。龍には銀の象嵌、赤や緑の玉が嵌入されている。東京国立博物館の所有であるが、太宰府市の九州国立博物館で保管されている。
 銅鏡に比べ鉄鏡は腐食が激しいが、再現復元品は非常に美しい。天領日田資料館(日田市豆田町)で展示されているようだ。

 鉄鏡は後漢時代(1世紀から3世紀)の製作で、後漢や魏では皇帝のみが鉄鏡を使用したと言われている。魏の武帝・曹操(155年-220年)も金錯鉄鏡を持っていた。曹操の墓から副葬品として大型の鉄鏡(21cm)が出土している。
 238年に魏に使節を派遣した卑弥呼(179年-247年)は親魏倭王の金印や銅鏡100枚を受けたが、243年の朝貢時に曹操の副葬品の金錯鉄鏡に似た鏡を受けたかもしれない。金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡も曹操の金錯鉄鏡と同じ大きさである。同笵鏡か似た鉄鏡かもしれない。

 しかし、この金銀錯嵌珠龍紋鉄鏡は豊後日田で造られたと云う説もある。国産であれば卑弥呼が魏から受けたかもしれない金錯鉄鏡を真似たか?

 日田には久津媛(比佐津媛、ひさつひめ)伝承があり豊後国風土記にも記されているが、久津媛がこの鉄鏡を神事に使ったものかもしれない。久津媛は会所山(よそやま、国見岳、164m)山頂の久津媛神社と麓の会所神社(よそじんじゃ)に祀られている。
 12代景行天皇が熊襲征伐の帰路、豊後国日田郡に来た時に久津媛の神が現れて迎えたことにより、久(ひさ)が地名の日田になったとも云われる。

 私見ですが、素戔嗚尊と宇佐の比売大神を思い浮かべ、宇佐の比売大神(宇佐津比売、うさつひめ)→久津媛(ひさつひめ)ではないかなと・・・
 糸島市の日向(ひなた)と同じように日田市も古代には日向(ひむか)と呼ばれ、鏡による太陽信仰の神事が行われていたようだ。

 豊後三芳駅の5kmほど北西には小迫辻原遺跡(おざこつじばるいせき、国の史跡)があって、古墳時代初期の日本最古の豪族居館跡がある。

 私の息子が日田の麦焼酎「百助(ももすけ)」をくれましたよ。
比多国造(ひたのくにのみやつこ)_d0287413_17563084.jpg

印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp



by enki-eden | 2017-03-30 00:47