古代史探訪

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八王子神社(加西市)

 兵庫県加西市田谷町(たやちょう)1265  電0790-45-0861  駐車場あります。
 祭神 八王子大神
     国狭槌命(くにさつちのみこと)(中央)、
     伊弉諾命(いざなぎのみこと)(右)、
     伊弉冉命(いざなみのみこと)(左)、
     大己貴命(おおなむちのみこと)(右端)、
     天津彦火瓊瓊杵命(あまつひこほのににぎのみこと)(左端)、
     木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)(明治43年に合祀)。

 五穀豊穣、安産守護。
 創建 1037年(69代後朱雀天皇、長暦元年)、鏡山に鎮座。正一位八王子権現。

 赤のアイコンが八王子神社、黄が大歳神社


 伝承によると長暦元年(1037年)、天変地異による疫病、害虫発生で多くの人が餓死した。村人が鏡ヶ原の南にある大歳神社で7日7夜の間、妖魔退散、五穀豊穣を祈願した。大歳神社は多いが、500m南に鎮座する大歳神社か?
 その満願の日、天より「われは八王子大神なり。鏡ヶ原に鎮まり妖魔を退け、五穀豊穣の地となさむ。」との声があり、疫病・害虫は治まった。
 それで、近江国日吉大社より八王子大神を勧請して祀るようになった。日吉大社については、2014年6月17日投稿の「日吉大社①」をご参照ください。

 八王子とは素戔嗚尊の御子である5男3女を云う場合が多いが、近江国日吉大社の奥宮のある牛尾山(八王子山、381m)に国狭槌尊など8人の王子が顕れたと云われ、八王子権現と呼ばれた。
 また、八王子山に降臨した山の神・大山咋神の初現の姿(荒魂)を初王子として祀ったのを、後に八王子と訛ったと云う説もある。

 日本書紀によると、神世7代の2代目が国狭槌尊(西暦20年頃出生)になっているが、古事記によると、大山津見神(おおやまづみのかみ、西暦135年頃出生)と野椎神(のづちのかみ)が国之狭土神(くにのさつちのかみ、西暦150年頃出生)を生んだとある。
 国狭槌尊と国之狭土神は時代が大きく違っているので、名前は似ているが別神か。但し、同じ奴国王の系統だと考えられるので、先祖の名を継いだのか。

   石の鳥居
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    参道
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   随神門
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   拝殿
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 本殿、1693年築造。当時の社領は10万平方メートル(3万坪)もあった。
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  東の末社、左が伊勢神社(天照皇大神、豊受大神)、
  右が猿田彦神社(猿田彦命)。
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 西の末社、愛宕・秋葉神社(句句廼馳命、火須曾理命、阿遇突知命)、
 御井神社(罔象神、みずはのめのかみ)、
 雪彦神社(せっぴこじんじゃ、國常立尊)。
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 背後の鏡山に6基の鏡山古墳群がある。直径10mの円墳で6世紀の築造。
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©2012 INNAMI KANKI
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by enki-eden | 2018-02-07 09:56