古代史探訪

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赤穂市有年(うね)地区の古墳

 有年地区では昭和43年度に山林部の文化財分布調査が行われ、古墳77基が見つかっている。その後、赤穂市教育委員会が5年前から行っている埋蔵文化財分布調査によると、有年原・有年牟礼地区の山林部に156基の古墳があると云う。
 赤穂市教育委員会は「播磨地域でも有数の古墳密集地区である」として、報告書を刊行した。



 そして、これまで円墳だと考えられていた放亀山1号墳(赤穂市有年楢原)が前方後円墳であることが分かった。赤穂市内で前方後円墳が確認されるのは初めて。
 築造は古墳時代前期前半の4世紀初めと見られているので、古墳時代が始まったと同時に当地で前方後円墳が築かれたことになる。
 大和国と密接に繋がった当地の首長の古墳だと考えられる。或いは大和国から派遣されたのか。

 当古墳は「くびれ部」がはっきりと確認できたので前方後円墳と確定した。全長38m、後円部径23m、高さ4.4m、前方部長さ18m、高さ2m。前方部、後円部共2段築成で葺石も確認されている。

 有年楢原地区は千種川の西岸に沿った山にあり、古代の踏鞴製鉄が盛んであったと考えられる。この地区には須賀神社が3社も鎮座、素戔嗚尊を祀っている。
 前方後円墳の被葬者は踏鞴製鉄に携わっていたのであろう。千種川の製鉄用砂鉄は有名です。2013年7月2日投稿の「播磨国と大和国の製鉄」をご参照ください。

 その後、7世紀になると秦河勝が赤穂にやって来て、千種川の開発を始める。2012年12月29日投稿の「大避神社」をご参照ください。
©2012 Innami Kanki
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by enki-eden | 2018-03-02 11:40