古代史探訪

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ひょうごの遺跡(兵庫県立考古博物館の展示)

 兵庫県立考古博物館の調査研究10年間(2009年~2018年)の集大成!
 展示期間は1月20日から3月25日までです。兵庫県加古郡播磨町大中1-1-1
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   紅梅が満開でした! (3月2日)
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 姫路市南西部の沖積低地に広がる「池ノ下遺跡」出土の縄文土器で、約4,000年前。
 「磨消縄文(すりけしじょうもん)」の深鉢で、上部全周に縄目を付けた後、棒で文様を描き、文様外側の縄目をなで消した。
 この文様は瀬戸内を中心に、西は九州東部から東は北陸・東海地方まで広範囲に普及していた。岡山県倉敷市の中津貝塚で最初に発見されたので、中津式土器と呼ばれる。
 縄文時代は、14,000年前から2,500年前まで、ほぼ同じ民族の縄文人が列島全体に交易し、均等な文化を共有していた。
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 加古川市の坂元遺跡(6世紀)から出土した石見型盾形(いわみがたたてがた)埴輪。
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   坂元遺跡出土の武人埴輪
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 洲本市の下加茂遺跡の墓から出土した精巧な朱塗りの杓子(しゃくし)。
 漆は使わず、朱を塗り込めている。
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 但馬地域最大の前方後円墳(134.5m、5世紀)である池田古墳出土の水鳥形埴輪。古墳の形や埴輪などは大和・河内の王墓の様式を取り入れている。
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 奈良時代、播磨では須恵器の製造も盛んで、良質なものは税として平城京に納めていた。
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 淡路島南端の南あわじ市阿万(あま)東町の九蔵遺跡(ぐぞういせき)から銀銭「和同開珎」が1枚出土した。全国では48枚目。
 淡路島は古代から朝廷に食材を献上する「御食国(みけつくに)」であった。魚介類採取だけではなく製塩も海人族の重要な生業であった。銀銭の出土は朝廷との強いつながりが伺える。
 製塩土器と銀銭
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 日本書紀の「国生み」によると、『伊弉諾尊と伊弉諾尊が天の浮橋の上に立って、「この底の一番下に国がないはずはない」と云われ、玉で飾った矛を指し下して、下の方を探られた。
 そこに青海原が見つかり、その矛の先から滴った海水が凝り固まって一つの島になった。これを名付けておのころ島と云う。
 二柱の神はそこでこの島にお降りになって、夫婦の行為を行って国土を生もうとされた。』とある。
 この話は「国造り、国生み」を夫婦の行為に例えて表現していると私は考えているが、考古博物館の説明では、この有名な国生み神話は、土器を用いた塩作りの様子を反映したものではないかと云っている。弥生時代には、海水を素焼きの土器に入れ、それを炉で煮詰めて塩を作った。
 沸騰して泡立った海水を静める冷却具として細長い石棒を土器に入れるとうまくいった。その様子を淡路島の海人族が神話として伝えたかもしれないと云う。
 同じように、記紀では踏鞴製鉄を出産に例えて表現されている。例えば、伊弉冉命が火の神を生むときに体を焼かれて亡くなった、木花開耶姫が瓊瓊杵尊の子を生むときに「天孫の子ならば火も損なうことができないでしょう」と云って火をつけて室を焼いた、など。

 この他多くの出土品が展示されており、楽しい一日を過ごすことができますよ!
©2012 Innami Kanki
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by enki-eden | 2018-03-10 19:38