古代史探訪

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月神命(つきたまのみこと、天月神命)

 壱岐県主等祖(いきのあがたぬしたちのおや)、高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)の子、
 月読大神(つきよみのおおかみ)。

 月神命は長崎県壱岐市の月讀神社(つきよみじんじゃ)に祀られているが、日本書紀によると、23代顕宗天皇の3年(487年)春2月1日、阿閉臣事代(あへのおみことしろ)が、命を受け任那(みまな)に使いした。壱岐に着いた時、月の神が人に憑いて『わが祖・高皇産霊尊は天地をお造りになった功がある。田地をわが月の神に奉れ。求めのままに献上すれば慶福が得られるだろう。』と云われた。
 阿閉臣事代は京に帰って天皇に詳しく申し上げると、山城国葛野(かどの)郡の歌荒樔田(うたあらすだ)を奉られた。壱岐の県主の祖の押見宿祢(おしみのすくね、忍見宿祢)がお祀りして仕えた。この社は現在、京都市西京区松尾大社の境外摂社の月読神社と考えられる。月読神社の禰宜は現在でも押見宿祢の子孫の松室氏が担っている。

 顕宗天皇の3年夏4月5日、日の神が憑いて阿閉臣事代に云われ、『倭の磐余の田を、わが祖・高皇産霊尊に奉れ』と。阿閉臣事代は天皇に奏上し、田14町を奉った。対馬の下県直(しもつあがたのあたい)が高皇産霊尊をお祀りし、仕えた。神社の旧名は目原坐高御魂神社(めはらにますたかみむすひじんじゃ)と云う。

 月の神は壱岐の天月神命(月読大神)、日の神は対馬の天日神命で、両神とも高皇産霊尊の子で、西暦185年頃の饒速日東遷に従っている。子孫は大和国や山城国に住んだ。
 日本書紀によると、高皇産霊尊の子は全部で1,500人以上もいると云う。私は150人から200人位ではないかと思いますがねぇ・・・

 日本書紀の伊弉諾命(西暦125年頃出生)の段では、月読命(月の神)は天照大神(日の神)と素戔嗚命と共に三貴子として伊弉諾命の子になっている。実子ではないが、婚姻や誓約(うけい)などによって親子の契りを結んだと考えられる。

 天照大神は女神なので、対馬の天日神命に神託を下す巫女(天日巫女)だったのか。高皇産霊尊と兄妹だったかもしれない。
 天照大神(比売大神、大日孁貴、おおひるめのむち)と素戔嗚命が誓約(うけい)をして宗像三女神(田心姫、湍津姫、市杵嶋姫)が生まれた。
 市杵嶋姫は天火明命の妻となり卑弥呼を産んだのではないか。図をクリックして、プラスマークをクリックすると拡大します。
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©2012 Innami Kanki

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by enki-eden | 2018-04-06 10:02