古代史探訪

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神吉八幡神社(かんきはちまんじんじゃ、加古川市)

 兵庫県加古川市西神吉町宮前979  電079-431-2130
 鳥居横にも車を停められるが、左手奥に参拝者用の駐車場があります。
 妙見大明神とも呼ばれる。

 祭神 誉田別尊(15代応神天皇、363年-403年)

 西神吉町大国(おおぐに)が発祥の地で、旧地は下の宮(御旅所)となっている。
 赤が神吉八幡神社、黄が御旅所、青が神吉城跡(東神吉町の常楽寺が神吉城本丸跡)


創建 
 1396年、神火(隕石か?)が天下原(あまがはら、加古川市東神吉町天下原)に落ちた。村人は八幡神の化身に違いないと考え、近くの大国に八幡大神を祀って「神吉の庄」の氏神にした。

 当社は1441年の嘉吉の乱(かきつのらん)で焼き討ちにあい、1468年に領主の神出元盛が宮山(聖武天皇の行宮、標高90m)に遷座・再建した。元の大国村には御旅所が再建され、下の宮となった。
 嘉吉の乱では播磨・備前・美作の守護・赤松満祐(1381年-1441年)が6代将軍足利義教(1394年-1441年)を暗殺し、幕府討伐軍に敗れた。

 南北朝時代(1336年-1392年)の神出城主・神出範次は赤松氏の系統で、子の元頼に神吉庄を与えたので元頼は神吉元頼と名乗った。神吉元頼は神吉城を築城、代々が神吉城主となった。
 神吉氏は三木城の別所氏と繋がっていたので、1578年に織田信長(1534年-1582年)と別所長治(ながはる、1558年-1580年)が争った時に、神吉城は志方城と共に羽柴秀吉(1537年-1598年)に攻撃され、落城した。

 当社は1633年にも落雷で全焼したので、1683年に再建した。

   石の鳥居
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   随神門
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 神吉頼経(かんき よりつね、1543年-1570年)築造の石垣が一昨年の9月に
改修された。
 3段目の石垣に積まれた石に銘文があり、古いので見えにくいが看板には、
 「この石垣は、天文年中(16世紀中頃)に4代目神吉城主の中務少輔・神吉頼経公の
所築で、後世に願主の名が失われることを恐れ、ここに銘文を記す。」とある。
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   拝殿・幣殿・本殿
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  境内から3.3km西に高御座山が見える。(2017年9月6日投稿)
  いつもははっきり見える山々も、この日は春霞でぼんやり。
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 境内社は、天照皇大神宮(天照大神)、大年神社(大年神)、愛宕神社(武甕槌命)、
 大歳神社(大歳神)、稲荷神社、八坂神社(素戔嗚命)がある。

 秋祭りは大変な賑わいになるようですが、私が子どもの頃の当地では天狗の面をかぶり、
長い棒を持って暴れる「アカ」と云うものが怖かった記憶が今でも残っています。
 今から思えば猿田彦らしいですが、猿田彦であれば老人の姿で矛を持っているが・・・
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©2012 Innami Kanki
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by enki-eden | 2018-05-03 09:32