古代史探訪

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杵築神社(きづきじんじゃ、姫路市)

兵庫県姫路市夢前町(ゆめさきちょう)菅生澗(すごうだに)594-2
神社の隣の「すごう保育園」を目指して行く。

祭神 大国主神、野見宿弥、菅原道真。
創建 嘉祥3年(西暦850年)

 古くは多氣明神と云われたので、今は多氣宮(竹の宮、竹宮さん)とも呼ばれる。
 当社は300m東の田園地に鎮座していたが、大正3年(1914年)に山麓の現在地に遷座した。
  赤のアイコンが杵築神社、黄が伊和神社、青が廣峯神社。


 当社は12km南東に鎮座の廣峯神社(姫路市広嶺山、ひろみねやま)と関係が深いようだ。

 杵築神社の由緒によると、この地は菅原氏の所領だったことと、菅原氏の先祖が出雲大社(杵築大社、出雲国一宮)に仕えていたことで、大国主神及び菅原氏祖神の野見宿弥と菅原道真の三柱の神を祀った。

 また、飾磨郡誌によると、大国主命が勢力拡大のためこの地に一泊し、後年一社を創建、その偉業を追慕し「多氣の宮」(雄大敢為の意)と称した。
 当社の28km北西に鎮座する播磨国一宮の伊和神社の祭神が伊和大神で、播磨国風土記によると、伊和大神は大己貴命(大国主命)と同神で、出雲国からやって来たとある。
 私見ですが、この伊和大神が菅生澗にやって来て勢力を拡大し、子孫が多氣明神を祀ったと考えています。更に伊和神社の鎮座地が兵庫県宍粟市(しそうし)一宮町須行名(すぎょうめ)407。この「すぎょうめ」の地名が菅生澗の「すごう」になったのではないかと考えています。
 播磨国風土記によると、菅生澗の地名由来は菅(すげ)がたくさん生えていたからと云う。山の谷間の真ん中を菅生川が流れている。

 当社の祭神が相撲の神の野見宿弥であるので、秋祭りでは、村対抗の相撲大会が行われる。拝殿の前に土俵があり、青いシートで覆われている。
 当社は昔、異相撲(ことすもう、喧嘩相撲)と云う荒い相撲を行い、「多氣の宮の喧嘩相撲」として有名であった。昭和初期までは遠方からも地方力士が参加して盛大に行われ、当社は別名を「相撲社」とも呼ばれていた。

  石の鳥居
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  拝殿、左手前に土俵があり、青いシートで覆われている。
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 拝殿内の古い神額には「山王権現 牛頭天皇」とあるが、神仏習合時の名残で、廣峯神社との繋がりか。明治元年に神仏分離令が出たが、各地で神仏習合の名残を見ることができる。
 但し、鹿児島県(島津藩)の廃仏毀釈は徹底していたらしい。
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   本殿
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©2012 Innami Kanki
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by enki-eden | 2018-05-18 11:27