古代史探訪

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黒岡神社(兵庫県揖保郡太子町)

 兵庫県揖保郡(いぼぐん)太子町太田917  電079-276-2251  無料駐車場あります。
 祭神 八幡大神(誉田別命、15代応神天皇)
 配祀 黒岡明神(藤原貞国)、天神(菅原道真)

 当初は黒岡八幡と称したが、明治7年に黒岡神社になった。



 神功皇后(321年-389年)が363年の新羅遠征の帰途、忍熊王(おしくまのみこ)が軍を率いて打ち破ろうと待ち構えているので、神功皇后は当地の太子町に上陸して作戦会議をしたことにより、住民が八幡神を祀るようになった。
 忍熊王は武内宿禰の攻撃を受け、「瀬田の唐橋」(滋賀県大津市)付近で入水自殺した。神功皇后は摂政となり、西暦363年を摂政元年とした。

 日本書紀の神功皇后紀に基づき、日本書紀に多用されている「筆法」を勘案して、神功皇后の年代・事績を作成しました。神功皇后だけではなく、卑弥呼と臺與の年代・事績も神功皇后紀に「筆法」により記されています。図をクリックしてプラスマークをクリックすると拡大します。
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 「峰相記(ほうそうき)」(南北朝時代の播磨国の地誌)によると、天平宝字8年(764年、47代淳仁天皇)、2万艘の軍船で播磨灘に攻め込んできた新羅に対して朝廷は、鉄の的をも射通すという藤原貞国に「的(いくわ)」の姓を与え、征討大将軍に任じ、新羅の大軍を討伐させた。
 (2万艘はオーバーだと思いますが・・・、2万人の間違いか)
 藤原貞国は大風に乗じて出陣し、敵将の首を取った。貞国はこの功績により播磨西五郡(揖保郡、飾磨郡、赤穂郡、佐用郡、宍粟郡)を賜り、的(いくわ)姓を名乗って太田郷楯鼓原に住所を構え長くこの地に栄えた。

 藤原貞国は没後、黒岡神社に祀られ、境内には彼の墓と伝えられる円墳があり、円墳入口の竜山石製の石碑には「藤原貞国掾(じょう)塚」と刻まれている。石碑は家形石棺の蓋を利用している。
 この古墳は6世紀後半頃の築造なので、藤原貞国の時代より200年ほど古い。

 また、菅原道真(845年-903年)が筑紫に向かう途中、広畑の高浜に滞留、当社へ参詣したので菅原道真も祀られている。

   神門
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 黒岡神社古墳(貞国塚)、藤原貞国の墓と云われる径15m、高さ5.3mの円墳。
 古墳前の赤鳥居は左が荒神社(素戔嗚命か)、右が琴平社(大物主命か)。
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 古墳には右片袖の横穴式石室に組み合わせ式石棺が残っている。
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    古墳の後方より
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   天神寝牛石
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   拝殿、拝殿前には左近の桜と右近の橘が植えられている。
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   本殿
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by enki-eden | 2018-07-16 09:02