古代史探訪

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稗田神社(ひえだじんじゃ、兵庫県揖保郡太子町)

 兵庫県揖保郡(いぼぐん)太子町鵤(いかるが)926   電079-276-0577
 祭神 稗田阿礼命(ひえだのあれのみこと)、素戔嗚命。

 旧祭神 豊受姫、素戔嗚命、猿田彦命、天鈿売命(あめのうずめのみこと)。

 古事記は40代天武天皇(622年-686年)の勅により、稗田阿礼が聞き覚え、太安万侶(723年没)が編纂し、和銅5年(712年)に43代元明天皇(660年-721年)に献上されたと云う。
 天鈿女命は猿女君の祖で、猿女君は代々「誦(しょう)と舞」により歴史を伝えてきた。天鈿女命の子孫である稗田阿礼の「誦」を太安万侶が筆録して古事記が編纂された。



 摂政の聖徳太子(574年-622年)が法華経・勝鬘経(しょうまんぎょう)を講じたので、その褒美として33代推古天皇(554年-628年)より播磨国揖保郡の地を賜った。
 聖徳太子は大和の斑鳩寺(法隆寺)、中宮寺(法隆寺の東隣り)、片岡僧寺(片岡山放光寺、7代孝霊天皇陵の東)の三寺にこの地を分け与えた。佐勢の地(鵤荘、いかるがのしょう)五十万代の内と云われる。

 このため、当地鵤荘には各寺より、寺領の管理や調物微収のため、多くの吏員が大和から派遣された。その吏員の中に稗田氏がおり、祖神を奉祀する媛田神社(売田神社)を奉祀した。それを当地の人々が氏神として尊崇した。神社の説明によると610年頃に山地から平地に遷された。

 創建当時の祭神は稗田氏の祖神である天鈿女命と猿田彦命の二神であったが、後世になって天鈿女命の子孫である阿礼比売命(稗田阿礼)を奉祀することになる。天鈿女命は西暦185年頃の饒速日東遷に従い大和にやってきた。
 奈良県大和郡山市(やまとこおりやまし)稗田319に鎮座の賣太神社(めたじんじゃ)は希代の語り部・稗田阿礼を祀っており、稗田氏(猿女君)の居住地であった。



 稗田阿礼の性別は諸説あるが、稗田神社では女性としている。猿女君の「誦と舞」は主として女性によって演じられたので、稗田阿礼は女性と見るのが妥当でしょう。
 古事記の内容・表現方法も女性の立場からの世界観が垣間見える。

 神仏習合時代には、当社の南600mにある播州斑鳩寺(いかるがでら)の権勢に押されて稗田神社は勢いがなかったが、明治の神仏分離により、明治7年(1874年)村社に列せられ、後に郷社に昇格した。
 当社を上宮とし、播州斑鳩寺の境内に稗田神社の御旅所(下宮)がある。斑鳩寺は揖保郡太子町にある聖徳太子開基の寺院で、奈良の法隆寺の荘園「鵤荘」として法隆寺の経済を支えてきたが、現在は比叡山天台宗系の寺院になっている。

   神門と拝殿、
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 拝殿と左右に大きな神木。
 拝殿前の柱には「神徳輝宇内」、「皇威洽四海」と刻まれている。(神徳により国内が明るく輝くように。皇威が世界に行き渡り、打ち解けあうように。)
 同じような言葉が各地の神社にあるが、福岡県糸島市芥屋3747に鎮座の綿積神社(綿積大神)の入り口鳥居前の注連柱にも「八紘一宇」、「皇威輝四海」と記されている。
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   本殿
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 境内社に太神社(天照大日霊命、太安万呂命)と金刀比羅神社(豊受姫命、事代主命)がある。

 鵤(いかるが)の地名由来は、聖徳太子に因んで奈良県生駒郡斑鳩町(いかるがちょう)だと考えられるが、鳥の名前に鵤(イカル)がある。イカルは角のように丈夫で太い黄色の嘴(くちばし)を持つ。昔、奈良の斑鳩にたくさんいたからイカルと名付けたと云う説がある。
©2012 Innami Kanki
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by enki-eden | 2018-08-01 09:18