古代史探訪

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古代史の復元

 日本の古代史は、戦前の「皇国史観」によって大きく歪められ、戦後の「戦後史学」によって抹殺されてしまった。
 皇国史観に依らず、戦後史学に依らず、私は古代史をできるだけ史実に近づけたいと思い、6年前にこのブログを始めました。

 戦後史学が読んではいけないと云う日本書紀、古事記を私はよく読み、それを補完する他の古文書もよく読み、日々進歩する考古学の成果に学び、神社の由緒や土地の伝承を参考にし、博物館に通い、抹殺された古代史の復元に務めた。
 古代の人々の息づかいを感じるようになり、2,000年前のマレビトが家族か友達のように身近に感じるような氣がしてくる。

 歴史には人物、年代、場所の特定が必要であるが、日本書紀は特に「筆法」をふんだんに使っているので、解明には時間がかかる。
 そして21代雄略天皇が暦を統一したことにより、それ以降の年代は分かり易いが、それ以前の年代には色んな暦が使われているので非常に分かりにくくなっている。

 そんな環境の中で、初代奴国王(漢委奴国王)である「国常立尊」の生年が、偶然にも西暦元年だったことは驚きだった。
 そして、卑弥呼の生年が西暦179年、女王即位が西暦201年、没年が西暦247年、
 神武天皇の生年が西暦181年、即位年が西暦211年、崩御年が西暦248年、
 崇神天皇の生年が西暦251年、即位年が西暦295年、崩御年が西暦301年、
 神功皇后の生年が西暦321年、摂政元年が西暦363年、崩御年が西暦389年などと解明した。
 何度も修正を繰り返し、現在では次の図が最新になっています。今後も追加・修正は行います。
 図をクリックしてプラスマークをクリックすると拡大します。
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 2世紀の終わり頃に「タウポ火山の噴火」により地球規模の気候異変が起き、中国では西暦184年に「黄巾の乱」が起こり、群雄割拠して国が衰えていった。やがて西暦220年に後漢が滅亡、三国時代に入っていく。   

 日本列島では、西暦180年代に「倭国乱」が発生、7代目奴国王兼倭王の伊弉諾尊(西暦125年頃-190年頃)が失脚して淡路島に隠遁。倭国とは北部九州の28カ国のことです。
 西暦140年頃出生の素戔嗚尊が西暦200年頃に亡くなり、大国主命(西暦160年頃出生)が後を継いだ。
 しかし、西暦201年に卑弥呼が倭王に就任して倭国乱が終息、大国主命に北部九州の出雲族支配地を譲るよう強制。出雲族支配地は投馬国(福岡県東部と大分県)と邪馬台国(筑後川周辺)だと考えられる。
 高皇産霊尊(西暦140年頃出生)が大和国(奈良県)の国譲りも目論んで、磐余彦を大和国に派遣、211年に神武天皇として橿原で即位した。
 
 卑弥呼の後を継いだ臺與(235年頃-295年頃)は西暦266年、西晋に朝貢するが、中国の内乱と北方民族の侵入で朝貢貿易を続けられず、270年頃に列島統一(全国の国譲り)を目指して伊都国王の五十瓊殖(いにえ、10代崇神天皇)を伴って大和国に東遷したと考えられる。
 東遷の際、臺與は卑弥呼の遺骸を取り出して大和国に運び、巨大な前方後円墳である箸墓古墳(278m)を築造、西暦280年頃に完成した。
 臺與は卑弥呼を後円部に埋葬、膨大な石積みで盗掘を防いだ。これにより、弥生時代から古墳時代に入っていく。
 祭祀は、弥生時代に楚人の出雲族が中心になって400年間ほど続いた銅鐸祭祀が消滅し、八咫鏡・草薙剣・八尺瓊勾玉の「三種の神器」で祭祀が行われるようになった。
 臺與は西暦295年頃に自らも箸墓古墳の前方部に埋葬されたと考えられる。
 崇神天皇は295年に即位し、物部氏と結託して全国制覇を目指すことになる。

 巨大な箸墓古墳が築造されてから100年も経たない西暦363年に、神功皇后は新羅に出兵する。これは国内が概ね鎮圧でき、「国譲り」が完成、国家の経済にも余裕が出てきたことを物語っている。
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 私的な話ですが、私は75才になるので認知機能検査を受けて合格し、次に高齢者講習を受けて、自動車運転免許証の更新をしました。
 去年の年末に車を買い替えたのですが、娘が「74才で車を買う父」と言っていました。あと10年くらい安全運転で元気に乗れたらいいなと思っています。
Innami Kanki
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by enki-eden | 2018-08-22 21:48