2018年 11月 24日
甲八幡神社(かぶとはちまんじんじゃ、姫路市)
兵庫県姫路市豊富町豊富1375 電079-264-4747 無料駐車場あります。
祭神 品陀別命(ほんだわけのみこと、応神天皇)
配祀 息長足比女尊(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)
比咩大神(ひめおおかみ)
15代応神天皇(363年-403年)が播磨国を巡幸の時、甲山(かぶとやま、107m)に登り、四方を視察した。播磨国風土記には甲山は冑山と記されている。
応神天皇は灌漑用水路や道路を造らせて農業振興を図った。里人たちはその徳に感謝し、秋の収穫時には甲山に登り、初穂を供え都の方(東)に向かって遙拝した。
応神天皇や神功皇后(321年-389年)が播磨国を巡幸した記録は各地に多い。
859年(貞観元年)、甲山に社殿を造営し八幡神社とした。
当社のすぐ西を流れる市川沿いにある神崎郡福崎町、姫路市船津町、姫路市砥堀(とほり)の地域には、平安時代末期に蔭山荘という荘園があり、当社はこの蔭山荘の総氏宮であったと云う。
蔭山荘に因んで豊富町御蔭(みかげ)の地名ができたと考えられる。また、当地は踏鞴製鉄が盛んな地域であった。
当社の3.2km南の豊富町御蔭に兼務社の新次神社(にすきじんじゃ)が鎮座、祭神は阿遅須伎高比古尼命(味耜高彦根神)。大和葛城から役行者(えんのぎょうじゃ、634年-706年頃)が来て祀ったと云う。近くに行者堂がある。
甲八幡神社は歴代の姫路城主からも崇敬され、社領を寄進されたが、社殿は明治27年(1894年)に焼失し、明治34年(1901年)に再建された。
入口の赤い大鳥居は平成2年(1990年)に再建された。
入口の大きな赤鳥居、甲山の上にあるので遠方からもよく目立つ。
赤い大鳥居の左奥に牛の像と天満宮。
階段を登ると、社号標と拝殿。
幣殿と本殿
八幡神社では「神使いの鳩」が向かい合って「八の字」を象っている。
拝殿右手前の境内社(市杵島神社かな?)
拝殿右に手前から、藤原社、荒神社(竈神)、豊富命社、皇太神宮。
本殿裏に稲荷神社
Innami Kanki メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp
祭神 品陀別命(ほんだわけのみこと、応神天皇)
配祀 息長足比女尊(おきながたらしひめのみこと、神功皇后)
比咩大神(ひめおおかみ)
15代応神天皇(363年-403年)が播磨国を巡幸の時、甲山(かぶとやま、107m)に登り、四方を視察した。播磨国風土記には甲山は冑山と記されている。
応神天皇は灌漑用水路や道路を造らせて農業振興を図った。里人たちはその徳に感謝し、秋の収穫時には甲山に登り、初穂を供え都の方(東)に向かって遙拝した。
応神天皇や神功皇后(321年-389年)が播磨国を巡幸した記録は各地に多い。
859年(貞観元年)、甲山に社殿を造営し八幡神社とした。
当社のすぐ西を流れる市川沿いにある神崎郡福崎町、姫路市船津町、姫路市砥堀(とほり)の地域には、平安時代末期に蔭山荘という荘園があり、当社はこの蔭山荘の総氏宮であったと云う。
蔭山荘に因んで豊富町御蔭(みかげ)の地名ができたと考えられる。また、当地は踏鞴製鉄が盛んな地域であった。
当社の3.2km南の豊富町御蔭に兼務社の新次神社(にすきじんじゃ)が鎮座、祭神は阿遅須伎高比古尼命(味耜高彦根神)。大和葛城から役行者(えんのぎょうじゃ、634年-706年頃)が来て祀ったと云う。近くに行者堂がある。
甲八幡神社は歴代の姫路城主からも崇敬され、社領を寄進されたが、社殿は明治27年(1894年)に焼失し、明治34年(1901年)に再建された。
入口の赤い大鳥居は平成2年(1990年)に再建された。
入口の大きな赤鳥居、甲山の上にあるので遠方からもよく目立つ。
赤い大鳥居の左奥に牛の像と天満宮。
階段を登ると、社号標と拝殿。
幣殿と本殿
八幡神社では「神使いの鳩」が向かい合って「八の字」を象っている。
拝殿右手前の境内社(市杵島神社かな?)
拝殿右に手前から、藤原社、荒神社(竈神)、豊富命社、皇太神宮。
本殿裏に稲荷神社
Innami Kanki メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp
by enki-eden
| 2018-11-24 20:43