2018年 11月 29日
諏訪神社(すわじんじゃ、姫路市)
兵庫県姫路市山田町多田920 神社の北に車を停めるスペースがあります。
祭神 建御名方神(たけみなかたのかみ)
当社は、6世紀前半築造の前方後円墳(全長40m)の横穴式石室が神座となっており、羨道入口に神殿が鎮座している。拝殿からは石室の入り口が見える。
この古墳の石室は「諏訪の岩穴(いわあな)」と云われ、県指定重要有形文化財(史跡)になっている。地名をとって多田古墳とも呼ばれる。
神社の説明によると、古墳の軸はほぼ東西向きで、後円部の南側に石室が開口し、入口前面に拝殿が造られている。石室内に石祠を置き、建御名方神を祀っている。
石の鳥居と奥に拝殿、鳥居は北東にある。
建御名方神は出雲族の大国主命(160年頃出生)と高志国(越後)の沼河比売(ぬなかわひめ)の子で、武神、軍神として崇敬されている。
建御名方神は、倭王の卑弥呼(天照大神②、179年-247年)が201年頃に強制した「国譲り」に反対して敗れ、信濃国(長野県)の諏訪湖に逃れたと古事記には記されている。
建御名方神は諏訪の地を開拓して、信濃国一之宮の諏訪大社に祀られた。御名方(みなかた)の名は父・大国主命の本拠地・宗像(むなかた)が由来かもしれない。
大国主命と神屋楯比売の子である事代主神は国譲りに賛成したので、現在でも宮中三殿の八神殿に高皇産霊神などと共に祀られている。
出雲国風土記には、大穴持命(大国主命)と奴奈宜波比売命(ぬながわひめのみこと)の子に御穂須須美命(みほすすみのみこと)が記されており、建御名方神と同じと云われる。
建御名方神は母・沼河比売の里(糸魚川市)からヒスイで有名な姫川を遡り、諏訪湖に落ち着いたのではないか。
妃は八坂刀売神(やさかとめのかみ)で、安曇氏と云われる。安曇氏が開拓した安曇野(あづみの)は諏訪湖の北30kmほどにある。
祭神 建御名方神(たけみなかたのかみ)
当社は、6世紀前半築造の前方後円墳(全長40m)の横穴式石室が神座となっており、羨道入口に神殿が鎮座している。拝殿からは石室の入り口が見える。
この古墳の石室は「諏訪の岩穴(いわあな)」と云われ、県指定重要有形文化財(史跡)になっている。地名をとって多田古墳とも呼ばれる。
神社の説明によると、古墳の軸はほぼ東西向きで、後円部の南側に石室が開口し、入口前面に拝殿が造られている。石室内に石祠を置き、建御名方神を祀っている。
石の鳥居と奥に拝殿、鳥居は北東にある。
建御名方神は出雲族の大国主命(160年頃出生)と高志国(越後)の沼河比売(ぬなかわひめ)の子で、武神、軍神として崇敬されている。
建御名方神は、倭王の卑弥呼(天照大神②、179年-247年)が201年頃に強制した「国譲り」に反対して敗れ、信濃国(長野県)の諏訪湖に逃れたと古事記には記されている。
建御名方神は諏訪の地を開拓して、信濃国一之宮の諏訪大社に祀られた。御名方(みなかた)の名は父・大国主命の本拠地・宗像(むなかた)が由来かもしれない。
大国主命と神屋楯比売の子である事代主神は国譲りに賛成したので、現在でも宮中三殿の八神殿に高皇産霊神などと共に祀られている。
出雲国風土記には、大穴持命(大国主命)と奴奈宜波比売命(ぬながわひめのみこと)の子に御穂須須美命(みほすすみのみこと)が記されており、建御名方神と同じと云われる。
建御名方神は母・沼河比売の里(糸魚川市)からヒスイで有名な姫川を遡り、諏訪湖に落ち着いたのではないか。
妃は八坂刀売神(やさかとめのかみ)で、安曇氏と云われる。安曇氏が開拓した安曇野(あづみの)は諏訪湖の北30kmほどにある。
by enki-eden
| 2018-11-29 09:23