2018年 12月 05日
劒之宮王子神社(つるぎのみやおうじじんじゃ、加西市)
兵庫県加西市(かさいし)西剣坂町(にしけんざかちょう)818 電0790-46-0215
神社の前に車を停められます。 加西市の西端で、姫路市との境の山麓に鎮座。
祭神 国常立尊(くにのとこたちのみこと)、
配祀 伊弉諾尊、伊弉冉尊、素戔嗚命。
私見ですが、祭神の国常立尊は西暦元年生まれの初代奴国王で、西暦57年に後漢に朝貢した「漢委奴国王」だと見ています。
奴国は博多湾周辺の国で、国常立尊の時に倭国(北部九州)の海外交易を代表する国になった。
国常立尊の生年は西暦元年と云いましたが、西暦元年は西暦1年で、その前年は紀元前1年です。その間の「紀元0年」と云うのは存在しません。
従って、紀元前から紀元後に亘る期間の年数を計算するには1年を引く必要があって、ややこしい。
日本の元号も同じで、平成元年(1989年)は平成1年であって、平成0年ではありません。人の年令も現在では生まれた時は0才ですが、昔は1才でした。
天文学では「紀元0年」を仮に設けて計算しやすくしているようです。
少彦名神(すくなひこなのかみ)が当地を治めていた時、剣が出土したので、この剣を「十束の剣」と名付けて祀ったのが当社の初めと云う。播磨鑑(はりまかがみ)には「剣の宮」と記されている。
貞永元年(1232年)に刀鍛冶が参拝して詠んだ歌、
いく代々の ためしともなれ 神代より たえず祀れる みつるぎの宮
天正の頃(16世紀後半)、社殿が兵火により焼失したので再建した。「天下賦武」の信長軍は多くの寺社を破壊した。宗教中心の社会を変える「宗教改革」の役割も果たしたことになるが、犠牲が大きかった。
石の鳥居と参道の灯篭
絵馬殿
拝殿
本殿の前に小さな狛犬と少し右に石の祠
本殿の左にも小さな狛犬と石の祠
鳥居の左奥に大歳神社、兵庫県には大歳神社が400社近くもある。
印南神吉 メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp
神社の前に車を停められます。 加西市の西端で、姫路市との境の山麓に鎮座。
祭神 国常立尊(くにのとこたちのみこと)、
配祀 伊弉諾尊、伊弉冉尊、素戔嗚命。
私見ですが、祭神の国常立尊は西暦元年生まれの初代奴国王で、西暦57年に後漢に朝貢した「漢委奴国王」だと見ています。
奴国は博多湾周辺の国で、国常立尊の時に倭国(北部九州)の海外交易を代表する国になった。
国常立尊の生年は西暦元年と云いましたが、西暦元年は西暦1年で、その前年は紀元前1年です。その間の「紀元0年」と云うのは存在しません。
従って、紀元前から紀元後に亘る期間の年数を計算するには1年を引く必要があって、ややこしい。
日本の元号も同じで、平成元年(1989年)は平成1年であって、平成0年ではありません。人の年令も現在では生まれた時は0才ですが、昔は1才でした。
天文学では「紀元0年」を仮に設けて計算しやすくしているようです。
少彦名神(すくなひこなのかみ)が当地を治めていた時、剣が出土したので、この剣を「十束の剣」と名付けて祀ったのが当社の初めと云う。播磨鑑(はりまかがみ)には「剣の宮」と記されている。
貞永元年(1232年)に刀鍛冶が参拝して詠んだ歌、
いく代々の ためしともなれ 神代より たえず祀れる みつるぎの宮
天正の頃(16世紀後半)、社殿が兵火により焼失したので再建した。「天下賦武」の信長軍は多くの寺社を破壊した。宗教中心の社会を変える「宗教改革」の役割も果たしたことになるが、犠牲が大きかった。
石の鳥居と参道の灯篭
絵馬殿
拝殿
本殿の前に小さな狛犬と少し右に石の祠
本殿の左にも小さな狛犬と石の祠
鳥居の左奥に大歳神社、兵庫県には大歳神社が400社近くもある。
印南神吉 メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp
by enki-eden
| 2018-12-05 09:54