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古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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天日槍(あめのひぼこ)は神武天皇の傍系か

天日槍(あめのひぼこ)は神武天皇の傍系か_d0287413_21131354.jpg
 

 兵庫県北部の但馬国(たじまのくに)は、2世紀に出雲国の大己貴命(大国主命、160年頃出生)一族が開拓したが、次に天火明命(あめのほあかり、140年頃出生)一族がやってきて開拓した。
 3世紀半ばになると天日槍命(あめのひぼこ、230年頃出生)が新羅から但馬国にやってきて開拓したと云う。

 但馬国の歴史書に「国史文書 但馬故事記」がある。記紀以外は偽書とされることが多いが、但馬国の歴史を詳しく述べている。

 「国司文書 但馬故事記」の第5巻出石郡故事記によると、6代孝安天皇(229年頃-270年頃)の時代に(269年頃)、新羅の王子・天日槍命が帰化したとある。
 天日槍命は神武天皇(181年-248年)の兄・稲飯命(いなひのみこと、稲氷命)の5世孫であると出石郡故事記に記されている。
 「新撰姓氏録」(815年)にも「右京 皇別 新良貴 彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊の男 是出於新良国 即為国主 稲飯命者 新羅国王者祖合 稲飯命之後也」とあり、稲飯命は新羅王の祖とある。

 稲飯命は弟の磐余彦(いわれひこ、神武天皇)の東征に従い、西暦204年に九州を出発して大和国を目指したが、紀伊水道で暴風に逢い漂流した。
 稲飯命は新羅にたどり着いて国王となったと云う。子孫の天日槍命は王子であったが、先祖の国を目指し、筑紫国(九州)→穴門国(下関)→針間国(播磨国)の宍粟(しそう)郡に留まった。
 天日槍命の希望により孝安天皇は多遅摩国(但馬国)を与え、多遅摩国造にした。天日槍命は出石県主の天太耳命(あめのふとみみ)の娘・麻多烏(またお)を妻にし、但馬諸助(たじまもろすく)を生む。

 天日槍命は但馬国一宮の「出石神社」に祀られており、子孫には神功皇后(321年-389年)がいる。 2013年8月19日投稿の「但馬国考古学」をご参照ください。
  
 私見ですが、天日槍命の出自は新羅ではなく、朝鮮半島南部の任那(みまな、伽耶)ではないかと考えています。当時の九州北部と朝鮮南部は、揚子江(長江)からやってきた呉人の小国家群が多く、当時は同一文化の交流地域だったと考えています。
 3世紀において新羅(斯盧国)は任那(伽耶)の北方にあり、高句麗と接していたが、8世紀の記紀成立の頃には任那の地は新羅になっていたので、記紀では天日槍命を新羅の王子と呼んだのではないか。

 任那(伽耶)も九州北部と同じ倭人の小国家群であった。任那の王族は北部九州の奴国王などと同族関係にあったと考えられる。
 実際に、斯蘆国初代国王となった赫居世は倭(奴国)の王族と繋がっていたようである。

 そして、天日槍命の子孫や帰化人が、自らの出自を皇族につなげるために、新羅の王となった稲飯命の子孫であると主張したのかもしれない。
 日本書紀には、神武天皇の兄の稲飯命と三毛入野命(みけいりのみこと)は紀伊水道で暴風に遭った時に海中に没し、常世国(とこよのくに)にいったと記されているが・・・

印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp


by enki-eden | 2019-01-01 00:10