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古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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幸連5遺跡

 14,000年前から始まった縄文時代は、列島全体にほぼ均質な文化が広まり、広範囲の交易も行われていた。
 縄文人は、民族的にもY染色体ハプログループD2と云う世界でも数少ないDNAを特色としている。
列島全体に交易がおこなわれていたことは、考古学的出土物により証明される。

 津軽海峡に面した北海道上磯郡木古内町幸連(かみいそぐん きこないちょう こうれん)の「幸連5遺跡」は縄文時代前期から中期後半まで連続的に営まれていた。
 長期の遺構が複雑に絡み合って、100万点を超える遺物が発掘されている。
 竪穴住居跡から出土した4,300年前の石製品は、砂岩を正三角形の板状に削り、顔料で人の顔が描かれていた。三角形の一辺は12cmほどで、厚さは1.4cm、重さは218gあった。





 4,500年前の竪穴住居跡からの出土物には、長野県和田峠(1531m)で産出される黒曜石製の矢じり2点がある。和田峠と木古内町の直線距離は650kmも離れており、最も遠方での発見になった。和田峠産の黒曜石は透明感があり、元素の分析結果で判明した。

 和田峠周辺は縄文時代には黒曜石の産地で、石鏃に加工され交易品となった。筑摩山地の中央分水界にあり、峠の北側は千曲川から信濃川により日本海に通じ、峠の南側は諏訪湖から天龍川により太平洋に通じる。川と海の舟運により、ここから全国に流通していった。

 幸連遺跡の西にある木古内町札苅(さつかり)の札苅遺跡は縄文時代前期(6,000年前から5,000年前)から晩期の集落を代表する遺跡で、主に3,000年前から2,000年前の集落が多い。
 出土物に土偶があるが、高さ6cmから8cm、幅5cmの小型の板状のもので祭祀に使われた。


印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp

by enki-eden | 2019-01-07 08:44