2019年 01月 17日
豊受大神(とようけのおおかみ)
古事記によると、伊邪那美命(いざなみのみこと)の尿(ゆまり)から弥都波能売神(みつはのめのかみ)と和久産巣日神(わくむすびのかみ)が生まれた。
和久産巣日神の子が豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)で、亦の名を豊受大神、登由宇気神(とゆうけのかみ)、止与宇可乃売神(とようかのめのかみ)などと云われる女神である。
豊受大御神は三重県伊勢市豊川町の伊勢神宮外宮(豊受大神宮、とゆけだいじんぐう)に奉祀されており、食物・穀物を司る女神である。
止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう、804年)によると、21代雄略天皇(432年-479年)の夢に天照大神が現れ、「等由気大神(豊受大神)を御饌都神(みけつかみ)として連れて参れ」と云われたので、478年に雄略天皇は伊勢国に外宮を建てたと云う。
そして、丹波国で海部氏が祀る「籠神社」(このじんじゃ)の奥宮である真名井神社から豊受大神を遷座し、度会氏(わたらいうじ)を神官とした。
伊勢神宮内宮(皇大神宮)は既に、11代垂仁天皇(265年-310年)の時に三重県伊勢市宇治館町(うじたちちょう)に建てられていた。
籠神社奥宮の真名井神社の背後にある磐座の石碑には「塩土老翁(しおつちのおじ)、大綿津見神、亦名住吉同体、亦名豊受大神」とあるので、豊受大神は女神ではなく男神となるが・・・
籠神社の説明によると、「豊受大神は別名を天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・国常立尊(くにとこたちのみこと)・御饌津神(みけつかみ)とも云い、その御顕現の神を豊宇気毘女神・豊受比売とも云います」とあるので、豊受大神は男神であるが、顕現する姿は女神になっていると云う。
この顕現の仕方は、奈良時代から始まり1,200年以上続いた神仏習合の名残でしょう。明治時代に入ると、神仏分離令により神仏習合は禁止されたが、神仏習合の名残は現代にも散見される。
伊勢神宮内宮は天照大御神を祀るので正殿は女神仕様で、千木は内削、鰹木は10本の偶数、豊受大神を祀る外宮の正殿は男神仕様で、千木は外削、鰹木は9本の奇数になっている。
外宮の禰宜を世襲で務めてきた度会氏は天牟良雲命(あめのむらくものみこと)の末裔。天牟良雲命(170年頃出生)の孫が天日別命(あめのひわけのみこと)で、天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)の12世孫と云われており、年代は合うが・・・
天牟良雲命(天村雲命)は天香語山命(155年頃出生、尾張氏の祖)の子で、天火明命(140年頃出生)の孫。天香語山命と天村雲命は西暦185年頃の饒速日東遷に従って大和国にやってきた。
三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)は尾張国三宮の熱田神宮(あつたじんぐう、名古屋市熱田区)の神体であるが、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とも云う。
この剣は素戔嗚尊(140年頃-200年頃)が「八岐大蛇」(やまたのおろち)を退治した時に、大蛇の尾から出てきた霊剣で、天照大神に献上した。
天日別命は神武天皇(181年-248年)が大和国へ東遷してきた際に、伊勢国を平定し、伊勢国造の祖となった。
和久産巣日神の子が豊宇気毘売神(とようけひめのかみ)で、亦の名を豊受大神、登由宇気神(とゆうけのかみ)、止与宇可乃売神(とようかのめのかみ)などと云われる女神である。
豊受大御神は三重県伊勢市豊川町の伊勢神宮外宮(豊受大神宮、とゆけだいじんぐう)に奉祀されており、食物・穀物を司る女神である。
止由気宮儀式帳(とゆけぐうぎしきちょう、804年)によると、21代雄略天皇(432年-479年)の夢に天照大神が現れ、「等由気大神(豊受大神)を御饌都神(みけつかみ)として連れて参れ」と云われたので、478年に雄略天皇は伊勢国に外宮を建てたと云う。
そして、丹波国で海部氏が祀る「籠神社」(このじんじゃ)の奥宮である真名井神社から豊受大神を遷座し、度会氏(わたらいうじ)を神官とした。
伊勢神宮内宮(皇大神宮)は既に、11代垂仁天皇(265年-310年)の時に三重県伊勢市宇治館町(うじたちちょう)に建てられていた。
籠神社奥宮の真名井神社の背後にある磐座の石碑には「塩土老翁(しおつちのおじ)、大綿津見神、亦名住吉同体、亦名豊受大神」とあるので、豊受大神は女神ではなく男神となるが・・・
籠神社の説明によると、「豊受大神は別名を天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・国常立尊(くにとこたちのみこと)・御饌津神(みけつかみ)とも云い、その御顕現の神を豊宇気毘女神・豊受比売とも云います」とあるので、豊受大神は男神であるが、顕現する姿は女神になっていると云う。
この顕現の仕方は、奈良時代から始まり1,200年以上続いた神仏習合の名残でしょう。明治時代に入ると、神仏分離令により神仏習合は禁止されたが、神仏習合の名残は現代にも散見される。
伊勢神宮内宮は天照大御神を祀るので正殿は女神仕様で、千木は内削、鰹木は10本の偶数、豊受大神を祀る外宮の正殿は男神仕様で、千木は外削、鰹木は9本の奇数になっている。
外宮の禰宜を世襲で務めてきた度会氏は天牟良雲命(あめのむらくものみこと)の末裔。天牟良雲命(170年頃出生)の孫が天日別命(あめのひわけのみこと)で、天御中主尊(あめのみなかぬしのみこと)の12世孫と云われており、年代は合うが・・・
天牟良雲命(天村雲命)は天香語山命(155年頃出生、尾張氏の祖)の子で、天火明命(140年頃出生)の孫。天香語山命と天村雲命は西暦185年頃の饒速日東遷に従って大和国にやってきた。
三種の神器の一つである草薙剣(くさなぎのつるぎ)は尾張国三宮の熱田神宮(あつたじんぐう、名古屋市熱田区)の神体であるが、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とも云う。
この剣は素戔嗚尊(140年頃-200年頃)が「八岐大蛇」(やまたのおろち)を退治した時に、大蛇の尾から出てきた霊剣で、天照大神に献上した。
天日別命は神武天皇(181年-248年)が大和国へ東遷してきた際に、伊勢国を平定し、伊勢国造の祖となった。
by enki-eden
| 2019-01-17 16:12