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古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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三貴子(さんきし、みはしらのうずのみこ)

伊弉冉尊(いざなみのみこと)が亡くなったので、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)が殯(もがり)に行っていたが、高天原に帰ってきた。

黄泉の国の穢れを払うために、「筑紫の日向の川の落ち口の、橘(たちばな)の檍原(あわぎはら)」で禊祓い(みそぎはらい)をした。

倭王兼7代目奴国王の伊弉諾尊(西暦125年頃出生)が禊祓いをした川は、福岡市と糟屋郡にまたがる立花山(367m)の麓から流れ出て玄界灘に注ぐ「湊川」だと考えられる。

立花山は連山になっているが、玄界灘からは2峰(二上山、二神山)に見え、伊弉諾尊と伊弉冉尊を祀っていたと云う。海人族が船で博多湾に戻ってくる時に、立花山は目印のランドマークとなった。伊弉諾尊が黄泉の国から船で戻ってきた時も、立花山を目指した。

檍原は立花山から海岸までの原野だと考えられるが、現在は開発され住宅地になっている。




日本書紀によると、伊弉諾尊の禊祓いによって神が生まれ、八十枉津日神(やそまがつひのかみ)と云う。次に神直日神(かんなおひのかみ)、次に大直日神(おおなおひのかみ)、次に底津少童命(そこつわたつみのみこと)、底筒男命(そこつつのおのみこと)、中津少童命(なかつわたつみのみこと)、中筒男命(なかつつのおのみこと)、表津少童命(うわつわたつみのみこと)、表筒男命(うわつつのおのみこと)の9柱の神が生まれた。

それから、伊弉諾尊が左の眼を洗うと天照大神が生まれ、右の眼を洗うと月読尊(つくよみのみこと)が生まれ、鼻を洗うと素戔嗚尊が生まれた。この三柱の神を「三貴子」と云う。

私見ですが、

天照大神は対馬(左の眼)の「日の神」で高天原を治め、月読尊は壱岐(右の眼)の「月の神」で潮流を治め、素戔嗚尊(西暦140年頃-200年頃)は玄界灘の海岸(鼻)の「海原の神」で天下(葦原の中つ国)を治めることとなった。日本書紀は二つの島と筑紫の海岸を両眼と鼻に例えている。

天照大神は対馬の出身で、宇佐で素戔嗚尊と出会い、三女神(田心姫、湍津姫、市杵島姫)が生まれた。田心姫(たごりひめ)と湍津姫(たぎつひめ)が大国主命(西暦160年頃出生)の妻となり、宗像を拠点とする。

市杵島姫(いちきしまひめ、天佐手依姫)が天火明命(西暦140年頃出生、海部氏・尾張氏の祖)の妻となり、卑弥呼(天照大神②、西暦179年-247年)を生む。




西暦180年代に倭国乱が勃発、倭王兼7代目奴国王の伊弉諾尊が失脚して淡路島に隠遁。

素戔嗚尊が西暦200年頃に亡くなり、大国主命が跡継ぎとなるが、西暦201年に高皇産霊尊が中心となって倭国(北部九州の29ヶ国)を取りまとめ、天照大神②(卑弥呼)が倭国の女王となり、倭国乱が終焉する。

そして、高皇産霊尊と天照大神②(卑弥呼)が大国主命に国譲りを強要し、北部九州の倭国は統一された。

西暦185年頃に素戔嗚尊の第5子である饒速日命(にぎはやひのみこと)が大部隊で大和国に東遷し、纒向を都とした。

高皇産霊尊と天照大神②(卑弥呼)は大和国(奈良県)とその周辺国を統一するために、初代神武(西暦181年-248年)を大和国に派遣する。

臺與(天照大神③、235年頃-295年頃)は、270年頃に10代崇神(251年-301年)を伴い倭国から大和国へ東遷したと考えられる。崇神天皇は物部氏と結託して全国の主要地を統一した。

600年ほど続いた弥生時代が終わり、箸墓古墳を画期とする古墳時代に入っていく。列島の中心地が倭国(北部九州)から大和国(奈良県)に遷っていった。

天照大神、月読尊、素戔嗚尊の三柱の神を祀る神社は数少ないが、東京都杉並区の都心に広大な「阿佐ヶ谷神明宮」(あさがやしんめいぐう)が鎮座している。   

印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp


by enki-eden | 2019-02-01 00:36