妙見社(明石市)
祭神は妙見尊(みょうけんそん)
北辰信仰(北極星と北斗七星)であり、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)と同一。
方位守護、人の運命守護。
毎朝、天下泰平・国土安穏・信徒並びに参拝者の所願成就を祈願している。
妙見社は、南に隣接する日蓮宗の本松寺が1691年(元禄4年)に船上(ふなげ、明石川河口西)から現在地に遷った際に鎮守社として創建された。日蓮宗の寺院では妙見菩薩を祀ることが多い。
明治の神仏分離令により、妙見社と本松寺に分離されたが、今でも関係は深い。境内のツツジが有名で、4月下旬から5月初旬が見頃。秋は萩の名所として有名。
本松寺には石田三成(1560年-1600年)に仕えた島左近(1540年-1600年)が崇拝していた妙見尊像が祀られていると云う。
島左近の後裔が本松寺の檀徒になり、妙見尊像が奉納された。
当地周辺は神社仏閣が多く、長寿院(黄のアイコン)、「柿本神社(人丸神社)」と月照寺(青)、雲晴寺(紫)、妙見社と本松寺(赤)、明石上ノ丸教会と大聖寺(緑)、明石神社(黒)が続いている。
観光客が明石城(喜春城、きしゅんじょう)から天文科学館まで「時の道」を散策する途中にあります。
入口の鳥居、右は本松寺。
拝殿と本殿
拝殿には「妙見大菩薩」と書かれた提灯が見える。妙見尊は神仏習合時代の名残りで、運勢を切り開いて、信奉する人を助けようとする開運妙見大菩薩と云う。
額には「開運殿」と記されており、北の方角を示す北極星が人生を良い方向に導いてくれる。
本殿の左に福寿明王(お稲荷さん)。
江戸時代に「ぼたん狐」の民話があり、狐が牡丹模様の服を着た美女に化け、悪さをした。
妙見社にも本松寺にも立派な桜の木があり、本松寺には宮本武蔵作の庭園がある。
明石藩では、元和4年(1618年)に船上城(ふなげじょう)を廃し、明石城の築城が始まったが、宮本武蔵(1584年-1645年)が明石藩に来て藩主の小笠原家の客分となる。この時に武蔵は、明石城下の町割りとともに城や寺院などの作庭も行った。
天和2年(1682年)には、越前大野藩より松平直明(まつだいら なおあきら、1656年-1721年)が明石藩に転封し親藩となり、廃藩置県まで松平家の支配が続いた。明石城は瀬戸内海の海上交通監視、西国大名への押さえを担った。
明石神社には徳川家康(1543年-1616年)と松平直明が祀られている。長寿院は松平家の菩提寺。
明石神社
本松寺の墓域にはプロレスで活躍したジャイアント馬場(1938年-1999年)の墓もある。
ジャイアント馬場の使用した長靴にそっくりな石のモニュメントと似顔絵もユニーク。
印南神吉 メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp