高座神社(たかくらじんじゃ、丹波市)
兵庫県丹波市山南町谷川3557 電0795-77-0456 無料駐車場あります。
丹波国氷上郡鎮座の式内社、丹波の守護神として9世紀頃に丹波国造が創建。
16世紀半ばに3km北西の山南町金屋から現在地に遷座した。
当社の前を流れる山田川は篠山川に注いで合流し、篠山川は加古川に合流する。
祭神
高倉下命(たかくらじのみこと)、
天火明命(あめのほあかりのみこと)、建田背命(たけたせのみこと)、
比売命(ひめのみこと)、経津主命(ふつぬしのみこと)、
建御雷命(たけみかつちのみこと)、伊邪那美命、保食命(うけもちのみこと)、
菅原道真命、品陀別命(ほんだわけのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)、
大国主命、大雀命(おおさざきのみこと、仁徳天皇)。
1911年に近くの8神社を合祀したので祭神が多くなった。
主祭神の高倉下命は神武東征に登場する。神武軍が紀伊の熊野で大熊の毒気に冒されたので、天照大神と高木神が高倉下に霊剣を授け、高倉下は神武天皇(181年-248年)に献上する。
神武軍はたちまち力を取り戻し、敵を従えた。この霊剣が布都御魂剣で「石上神宮」に奉納されている。
高倉下命は天香語山命(西暦155年頃出生)と大屋津比売命の子で、丹波国造の祖。
天香語山は子の天村雲(天牟良雲)と共に、饒速日の東遷(185年頃)に従って、大和国にやって来た。天村雲の子孫は伊勢に移り、度会氏(わたらいし)となり、伊勢神宮外宮の神主を世襲した。
天香語山は大和国から尾張国に行き尾張国の基礎を造り、越国まで行って開拓した。越後国一宮の彌彦神社(いやひこじんじゃ、やひこじんじゃ、新潟県西蒲原郡弥彦村弥彦2887-2)に祀られ、奥の宮に妃神の塾穂屋姫命(うましほやひめのみこと)と共に埋葬された。
天香語山命(伊夜比古大神)は越後国開拓の祖神として信仰されており、神体山の弥彦山(634m)に奥の宮(神廟)がある。
海部氏系図 図をクリックして、プラスマークをクリックすると拡大します。

先代旧事本紀の国造本紀によると、初代丹波国造は13代成務天皇の御世(4世紀)に、建稲種命(たけいなだねのみこと)の四世孫の大倉岐命(おおくらきのみこと)を国造に定めたとある。
丹後一宮(元伊勢)の「籠神社(このじんじゃ)」の宮司は代々海部氏が務め、海部直(丹波国造)の後裔を称している。
海部氏系図(国宝)によると、大倉岐命は彦火明命の16世孫となっているが、10世孫の間違いです。海部氏系図に青字で16(10)と記したように、16世孫ではなく10世孫です。
8世孫から13世孫までは尾張氏の系図で、14世孫から22世孫までは海部氏の系図です。そして、8世孫の日本得魂命(川上真若命)と14世孫の川上真稚命は同一人物か、兄弟・従弟だと思います。つまり、並列する同族の尾張氏の系図と海部氏の系図を直列に繋いでいます。
海人族の彦火明命(彦火火出見命)の8世孫(3世紀後半)あたりから尾張氏と海部氏に分岐し、尾張氏は尾張国造となり、海部氏は丹波国造となった。
高座神社は神仏習合時には「高座大明神」と称していた。
入口の大鳥居と社号標、奥に随神門。

参道を進むと、石の鳥居(丹波市指定文化財)と拝殿。

本殿(1706年築造)、桧皮葺きの流れ造り、兵庫県指定の重要文化財。
今年になって国の重要文化財にも指定された。解体修理されたので美しい。

本殿の右に二宮神社(大己貴命と少彦名命、医薬の神)とその右に皇大神宮(厄除け)。

本殿の左に五大神社(八幡大神と春日大神)

樹齢400年、樹高20mのフジキ、兵庫県の天然記念物。

本殿左後方の山道(参道)を登って行くと奥の宮が鎮座、登りが結構きつかった。


印南神吉 メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp

