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神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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丹波道主命(たんばのみちぬしのみこと)

丹波道主命は川上麻須の娘・川上麻須郎女を妃とし、日葉酢媛を産んだ。日葉酢媛は11代垂仁天皇(西暦265年頃-310年頃)の皇后となった。

「丹後旧事記」によると、「川上麻須(麻須良)は丹後国熊野郡川上庄須郎(すら)に館を造る」とあるが、現在の地名では京都府京丹後市久美浜町須田(すだ)と考えられている。

当地の久美浜町須田天王谷132には衆良(すら)神社が鎮座しており、祭神は河上摩須。川上麻須はここに住んでいた丹後海部氏の豪族であろう。当地を丹後海部氏の本拠地とした。

川上麻須は3世紀後半に、海岸に近い久美浜町甲山亀石に丸田神社を創建、宇氣母智命(豊受大神)を祀った。川上麻須は海部氏8世孫の日本得魂命(やまとえたま、本拠地葛城高尾張)とほぼ同じ時代の丹後国の海部氏である。

更に、川上麻須は久美浜町海士(あま)に矢田神社を創建、建田背命(海部氏6世孫)、和田津見命、武諸隅命(海部氏7世孫)を祀った。地名の「海士」が示すように、当地は海部氏が住んでいた。

   

海部氏は京都府宮津市大垣にも進出し、丹後国一宮・「籠神社(このじんじゃ)」を創建、祖神の天火明命を祀った。宮津市と京丹後市は丹後半島を挟んで東西に隣接している。

赤のアイコンが衆良神社、黄が籠神社。


京都府京丹後市久美浜町に鎮座の神谷太刀宮神社(かみたにたちのみやじんじゃ)は丹波道主命を祀る。当社は丹波道主命の宝剣「国見の剣」を祀ったので、「国見」から地名の「久美」・「久美浜」が生じた。


  

丹波道主命の墳墓は丹波篠山市東本荘の「雲部車塚古墳」140m)と考えられている。


   図をクリックしてプラスマークをクリックすると拡大します。

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10代崇神天皇(251年-301年)が四道将軍の一人として丹波に派遣した「丹波道主」は日本得魂(丹波道主、海部氏8世孫)だと私は考えています。

「勘注系図」によると、崇神の時代(3世紀末)、京都府舞鶴市と福井県高浜町の境の青葉山(693m)に土蜘(つちぐも)の陸耳御笠(くがみみのみかさ)と匹女(ひきめ)がおり、人々を苦しめた。それで、日子坐王と日本得魂が勅命によりこれを討った。

日本得魂の妹は竹野媛(大倭姫、天豊姫)で、臺與と同一人と云う説もありますが、名前はよく似ていても年代と拠点が臺與とは違っている。

竹野媛は西暦250年から260年頃の出生、拠点は大和国葛城高尾張、臺與は235年頃出生、拠点は筑紫の倭国。

4代懿徳天皇(211年頃-262年頃)の皇后もよく似た名で、天豊津媛と云う。

日本得魂の娘に日葉酢媛など4人の娘がおり、垂仁天皇の皇后や妃となったのではないか。

「丹波道主」は個人名ではなく、丹波国を治める官職名だと考えられ、丹波道主を称する豪族は代替わりで複数いたのでしょう。日本得魂命、彦湯産隅命、丹波道主命(彦坐王の皇子)などが「丹波道主」の職を継承していったのでしょう。

日葉酢媛の母親は川上麻須郎女で、父親は日本得魂ではないかと私は考えています。

   

山代之大筒木真若王は日本得魂の同族だと考えています。山代之大筒木真若王と丹波能阿治佐波毘売との皇子が「迦邇米雷王」で、その孫が神功皇后です。系図の年代はその後に変更したものもあります。

印南神吉    メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp   


by enki-eden | 2019-09-17 09:31