人気ブログランキング |

古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
画像一覧
更新通知を受け取る
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

2世紀の日本列島は素戔嗚命が掌握し統率した

素戔嗚命(西暦140年頃-200年頃)は、神大市姫との間に生まれた第5子の饒速日命(大歳、西暦165年頃出生)と共に山陰地方・瀬戸内地方・四国地方を統率した。

そして、宇佐(大分県)を拠点として九州を統率、北部九州の倭国王・伊弉諾尊(西暦125年頃-190年頃)とは政略結婚で同族となった。伊弉諾尊は倭王兼7代目奴国王で海人族を統率していた。

宇佐市には宇佐神宮が鎮座、八幡神社の総本社で比売大神・八幡大神(応神天皇)・神功皇后を祀っている。

八幡大神は15代応神天皇(西暦363年-403年)になっているが、本来は素戔嗚命だったのではないか。

宇佐は瀬戸内海から九州への拠点となる地で、素戔嗚命と饒速日命(大歳)は宇佐を拠点にして九州東部を統率したと考えられる。統率の象徴は中広銅矛で、祭祀には銅鐸が用いられた。

神功皇后(西暦321年-389年)も363年の新羅遠征において、新羅王の門に銅矛をたて後世への印とした。

素戔嗚命は、筑紫紀氏の大矢女命との間に生まれた第2子の五十猛命(160年頃出生)に九州西部(伊都国・志摩国・紀伊国・対馬国・壱岐国・肥前国など)を統率させた。

素戔嗚命と五十猛命は、肥前国(佐賀県・長崎県)の統率には有明海沿岸を拠点とした。朝鮮・中国との交易には対馬と壱岐を拠点とした。

しかし、西暦180年代に倭国乱が勃発、伊弉諾尊は失脚して淡路島に隠遁、饒速日命は西暦185年頃に物部氏など大部隊を率いて大和国(奈良県)に東遷した。

素戔嗚命が西暦200年頃に亡くなると、後を継いだ大国主命(西暦160年頃-220年頃)が高皇産霊尊と天照大神(倭王・卑弥呼、179年-247年)に「国譲り」を強制され、「葦原の中津国」(古賀市・福津市・宗像市・遠賀郡・北九州市)を放棄して出雲国(島根県)に隠遁してしまった。

また、西暦204年には磐余彦(神武天皇、西暦181年-248年)が東遷を開始、209年に大和国(奈良県)に到着、211年に橿原で即位して「神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといわれひこほほでみのすめらみこと)」となる。

素戔嗚命は、新羅との縁が強かったので、記紀が成立した8世紀は「白村江の戦(663年)」から50年余りしか経過しておらず、新羅への憎しみから素戔嗚命も悪役に仕立て上げられ、記紀には素戔嗚命が大悪人として表現されることになった。

しかし、それから90年ほど経った52代嵯峨天皇(西暦786年-842年)は、「素戔嗚尊は即ち皇国の本主なり」として素戔嗚命を称え、名誉を回復した。そして、愛知県津島市神明町の津島神社を「日本の総社」と崇めた。津島神社の主神は建速須佐之男命(素戔嗚命)、相殿に大穴牟遅命(大国主命)を祀っている。

卑弥呼の跡を継いだ倭王の臺與(西暦235年頃-295年頃)は、西暦270年頃に大和国に東遷し、日本列島の中心地は北部九州から大和国に移ることになる。

2世紀に製鉄系の素戔嗚一族が列島の西半分を統率し皇室の基礎を創り上げたが、3世紀に海人族系(安曇氏・海部氏・尾張氏・和邇氏など)の天皇家が大和国に都を遷した。

3世紀終わりに弥生時代から古墳時代に移行、列島の大部分が統一された。

卑弥呼の系図、図をクリックしてプラスマークをクリックすると拡大します。

d0287413_09393582.jpg

天体のヒミコ

ヒミコ(Himiko)は、くじら座の方向、129億光年の彼方にある巨大な天体(星)。ハワイのすばる望遠鏡で大内正己特別研究員が率いる日米英の国際研究チームによって発見され、卑弥呼に因んで名づけられた。

宇宙の始まりから9億年後にできた巨大なガスの塊である。直径は55千光年もある。我々の天の川銀河の直径が10万光年だから、ヒミコは天の川銀河の半分以上の直径がある。

天の川銀河も外縁部のハローを含むと直系104万光年ほどになる。

ヒミコは太陽の400億倍の質量をもち、三つの銀河が繋がっており、全体は巨大な水素ガスに包まれている。

印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp  


by enki-eden | 2019-10-07 09:40