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神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)②

2016117日投稿の「市杵島姫」を、もう一度見直してみたいと思います。

天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)により、「比売大神」が宇佐神宮(宇佐嶋の御許山、647m)に降臨、次に福岡県宮若市の六ケ岳(むつがたけ、339m)に遷座、更に宗像に遷座して道主貴(みちぬしのむち)として宗像大社に祀られた。   

当初は「比売大神」として一柱の神であったが、宗像大社は、辺津宮・中津宮・沖津宮の三宮に分かれているので、「三柱の比売大神(田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神)」として祀られるようになったと云う説がある。

また、海人族の祀る神は、住吉大神も綿津見大神も「三柱の神」として祀られているので、宗像大神も三柱の神となったか。

大分県宇佐市の宇佐神宮では、三女神が「比売大神」として、二之御殿(3つ並んだ御殿の真ん中)に祀られている。   

京都府八幡市の「石清水八幡宮」でも同様に、比咩大神として左御前に祀られている。

京都市西京区嵐山宮町の「松尾大社」では、中津島姫命の別名で、主祭神二柱の一柱として祀られている。  

元伊勢として知られる京都府宮津市の「籠神社」では、主祭神である彦火明命と市杵嶋姫神が夫婦であるとしている。   

奈良県桜井市の大神神社摂社・「市杵嶋姫神社」に見られるように、市杵嶋姫を祀る神社は池に囲まれていることが多い。

市杵島姫命は、美人の「水の神様」と云われ、神仏習合時には弁才天と同じにされた。

図をクリックして、プラスマークをクリックすると拡大します。

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大国主大神(大己貴命)を主祭神として祀る出雲大社(島根県出雲市)には、本殿瑞垣内に向かって左に摂社の「神魂御子神社(筑紫社)」があり、三女神の内の多紀理毘売命(たきりひめ、田心姫命)が大己貴命の「九州の妻」として祀られている。


初代神武天皇(彦火火出見、181年-248年)の母・玉依姫も、「比売大神」や「三女神」として祀られている神社がある。玉依姫も「一柱の比売大神」から「三柱の神」に別けられた経緯がある。

福岡県飯塚市鹿毛馬(かけのうま)の厳島神社の由緒には、『豊前国宇佐島より筑前国宗像郡沖津島に鎮座のとき、当村日尾山(ひのおさん)、現在の日王山(ひのおうさん)を越え給う古実をもって、12代景行天皇の御宇(4世紀前半)に「三女神」を祀り、今に社殿・神石・柱石等残れり』とある。

福岡県鞍手郡(くらてぐん)鞍手町室木(むろき)の六嶽(むつがたけ)神社の由緒には、『この地は「宗像三女神」が降臨したゆかりの地で、7代孝霊天皇の御宇(3世紀後半)に宗像三所に遷幸され、宗像大神あらわれ給う』とある。

福岡県福津市津丸の神輿(みこし)神社では、『宗像社縁起に曰く、宗像三女神、始め室木の六ヶ嶽に御着、その後此の地に留り給う、この村に於て神威輝耀を以って神興と称す、その後三所の霊地(田島、大島、沖ノ島)に御遷座あり、「三女神遷幸の地」と伝承されている。』と伝わる。

三女神は、宇佐神宮→六嶽神社→神輿神社→宗像大社に遷座して祀られることになったと云う。



福岡県太宰府市に宝満山(ほうまんざん、829)、別名御笠山(みかさやま)、竈門山(かまどやま)があり、霊山として国史跡に指定されている。

宝満山の山頂に宝満宮竃門(かまど)神社の上宮が北向きに鎮座、麓に下宮が鎮座しており、玉依姫命(神武天皇の母)を主祭神にお祀りしている。太宰府天満宮の鬼門方角になる。

由緒によると、『按ずるに玉依姫を中央主祭の神とし、神功皇后、八幡大神を左右に配祀せしは、宇佐神宮三座の神と御同神にして玉依姫は同神宮の比売大神と御同体にますなり』とある。

宇佐神宮の比売大神も玉依姫だと伝わっている。玉依姫を宝満神、宝満大神として祀る神社もある。

比売大神(三女神)が玉依姫であるならば、私見では市杵島姫命と天火明命(140年頃出生)の子が卑弥呼(179年-247年)であると考えているので、玉依姫(市杵島姫命)と鵜葺草葺不合命(うがやふきあえず)の皇子である神武天皇(181年-248年)は卑弥呼と姉弟になる。

それが事実であれば、天照大神(大日孁貴)と豊玉姫が同一神ではないかと思えてくるが、頭が混乱してきました。古代の結婚は複婚(多数婚)なので複雑でややこしい。

福岡県宗像市神湊951の津加計志(つかけし)神社は宗像大社の境外摂社で、祭神は宗像三女神の市杵嶋姫神、田心姫神、湍津姫神。近くの神湊(こうのみなと)の守護神である。


津加計志神社の元宮は、『神湊(こうのみなと)草崎に鎮座の綱掛神社(現在、宗像大社頓宮)で、御祭神は市杵島姫命、相殿に宗像大宮司の遠祖・吾田片隅命(別名:赤坂比古命)を併せ祀る』と伝わる。

吾田片隅命(阿田賀田須命)は、大国主命(160年頃-220年頃)の6世孫で、宗像氏の祖、和邇一族であるから、響灘の海域を拠点にして海外交易も盛んに営んでいた。

大国主命は、西暦201年の「葦原の中津国の国譲り」により、北部九州の支配地(古賀市・福津市・宗像市・遠賀郡・北九州市)を天孫族に譲り、出雲国(島根県)に隠遁したが、配下の海人族である宗像氏は、天照大神と素戔嗚尊の誓約により生まれた三女神を宗像大社に祀り、天孫族に従ったと考えられる。

宗像大社で祀られているのは三女神であるが、本来祀られていたのは大国主命と考えられる。「沖ノ島の祭祀」をご参照ください。

宗像大社辺津宮の周辺は「秋郷(あきのさと)」と呼ばれていたが、秋郷に住んでいた人々が、各地に移り住んで、その土地に「あき(安芸・安木)」と名付け、「市杵島姫」を祀った。

「安芸の宮島」の厳島神社(国宝・世界遺産)の祭神は市杵島姫命・田心姫命・湍津姫命。安芸の地名は、広島県の安芸国、高知県の安芸市などがある。

日本の国土を「秋津洲(あきつしま)」というのは、日本書紀の神武紀に、天皇が巡幸し掖上(わきがみ)の嗛間(ほほま)の丘で、「なんと素晴らしい国を得たことだ。狭い国ではあるけれど、蜻蛉(あきつ)がトナメしているように、山々が連なり囲んでいる国だなあ」といったので秋津洲(あきつしま)と呼ぶようになったとある。

「秋津洲」の地名由来は、宗像の「秋郷」(葦原の中津国、豊葦原の瑞穂の国)が語源かもしれない。宗像大社周辺はそのような景色が広がっている。

或いは、神武天皇の出生地である遠賀郡もよく似た景色が広がる。大国主命が支配した響灘周辺の土地(葦原の中津国)を表現した言葉かもしれない。

印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp  


by enki-eden | 2019-10-29 00:30