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神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


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和邇(わに、鰐)

14代仲哀天皇(320年頃-362年)が筑紫国に来られる時、岡県主(おかのあがたぬし)の先祖の「熊鰐」が、白銅鏡(ますみのかがみ)、十握剣(とつかのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)を船の舳に立てて、周芳(すわ)の沙麼(さば、山口県防府市佐波)の浦に迎えた。

和邇族の岡県主の拠点は、遠賀川河口流域(福岡県遠賀郡芦屋町)にある崗之水門(おかのみなと、岡水門)が中心で、崗地方(遠賀郡)を治めていた。

遠賀川の河口には岡湊神社(おかのみなとじんじゃ)が鎮座。遠賀川流域には物部氏の領地も多いので、和邇族と物部氏は共同関係にあったと考えられる。

福岡県北九州市八幡西区岡田町に、熊族が祖先を祀った岡田神社が鎮座。岡田神社の北側の地名は八幡西区熊手(やはたにしく くまで)になっている。

祭神は中殿(岡田宮)に神日本磐余彦命(かむやまといわれひこのみこと、神武天皇)、

右殿(熊手宮)には大国主命、少名彦命、県主熊鰐命(あがたぬしくまわにのみこと)、

左殿(八所宮)には高皇産霊神、神皇産霊神、玉留産霊神(たまつめむすびのかみ)、生産霊神(いくむすびのかみ)、足産霊神(たるむすびのかみ)、大宮売神(おおみやのめのかみ)、事代主神、御膳神(みけつかみ)が祀られている。

八所宮の祭神は八神殿と同じで、現在は皇居の神殿(宮中三殿の1つ)にも祀られている。

岡田宮、熊手宮、八所宮はそれぞれ別の神社であったが、江戸時代初めに当地に遷座して一つの神社になったと云う。

熊族が最初に祖先を祀った場所(熊手)は、八幡西区山寺町の一宮神社がある所で、神武天皇(181年-248年)が204年に大和国へ出発する前に当地に立ち寄り、八神(八所神)を祀った。

 赤のアイコンが岡田神社、黄が一宮神社。

神武天皇の母は玉依姫で「和邇族」、祖母の豊玉姫も「和邇族」、神武天皇も「和邇族」であったので、崗(遠賀郡)に住む同族たちも東遷に加わった。

大和国においても歴代の天皇は「和珥氏(和邇族)」から妃を娶っている場合が多い。

 図をクリックしてプラスマークをクリックすると拡大します。

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大国主命(160年頃出生)と「和邇族」の神屋楯比売(かむやたてひめ)の子が事代主命で、事代主命は「八尋熊鰐(やひろのくまわに)」と云われる。大国主の領域・宗像と和邇族の領域・岡水門は隣接している。

大国主命の子で、周芳(すわ)を支配していた建御名方(たけみなかた)が、201年頃の「出雲国譲り」を拒否し、建御雷(たけみかづち)と力競べをして負け、逃げ込んだ所を諏訪(すわ、長野県諏訪市)と云う。周芳と諏訪は、漢字は違うが発音は同じ。

周芳(すわ、山口県東南部)は、7世紀に周芳国(すわのくに)となり、7世紀末に周防国(すおうのくに、すわのくに)と改称した。

対馬最北端の「鰐浦(わにうら)」は、朝鮮半島まで53km、天然の良港になっており、神功皇后(321年-389年)の新羅遠征時(363年)にも「鰐浦から出発した」と記されている。

対馬では大型の舟を「ワニ」、小型の舟を「カモ」と云うので、「鰐浦」の地名由来は、大型の舟が出入りしていた港だからか。

それとも鰐族が運営管理していた港なのか。海神の娘である豊玉姫が鰐族だったから、鰐族が使う港を「鰐浦」としたのか。

海人族の和珥氏と賀茂氏の族名由来もこれかもしれない。和珥氏は大型の舟を使って遠距離交易、賀茂氏は小型の舟を使って近距離交易で住み分けていたのか。

大和国における和珥氏(わにうじ)の拠点は、奈良盆地東北部の添上郡(そえかみぐん)和邇にあった。現在は天理市になっている。

奈良県天理市櫟本町(いちのもとちょう)の古墳群は和珥氏の墓所と考えられ、「東大寺山古墳」の出土物には後漢の霊帝の中平(184– 189年)銘鉄刀がある。

列島では倭国乱、大陸では黄巾の乱の時代に筑紫の和邇族は大陸と交易をしていた。乱が起きる寸前だったかもしれない。この鉄刀は和邇族の子孫が伝世し、4世紀末頃に東大寺山古墳に副葬・埋納された。

東大寺山古墳の近くには和邇氏(和珥氏)の氏神「和爾下(わにした)神社」が鎮座している。

   

和珥氏は4世紀に難波根子武振熊(なにわのねこたけふるくま、330年頃出生)などが、大和朝廷の海外出兵や国内の争いにおいて実績を上げた。難波根子武振熊は和珥氏であるが、丹波・但馬・若狭の長となり、海部氏の系図にもはめ込まれている。

和珥氏は部族から天皇家に妃を出し、外戚として勢力を高めた。

6世紀になると和珥氏の中から春日氏、小野氏、粟田氏、柿本氏、櫟井氏などが分岐し、春日氏が中心となっていく。

和珥氏は琵琶湖南西部にも領地を有し、和邇・小野などの地名を残した。和邇川が琵琶湖に注ぎ、JRの和邇駅、湖岸の和邇漁港がある。

小野氏出身者には、小野妹子・小野篁・小野小町・小野道風などがいる。小野には小野神社、小野道風神社、小野妹子神社もある。   

小野の和邇大塚山古墳は、全長72m、後円部径50mの前方後円墳で、4世紀末から5世紀初めの築造。琵琶湖や小野地域を一望できる曼陀羅山(185.8m)の山頂にあり、和邇氏の首長の墳墓と考えられている。

被葬者は難波根子武振熊の子かもしれない。

印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp
  


by enki-eden | 2019-11-28 09:34