大国主命とネズミ
大国主命(160年頃-220年頃)は、素戔嗚尊(140年頃-200年頃)の娘である須世理毘売と結婚するために素戔嗚尊に許しをもらいに行ったところ、様々な試練を命じられた。
その試練の中に、野原で火攻めにあう場面があったが、その時ネズミが現れて逃げ道を教えてくれたので助かった。それで、大国主命の神使いは「ネズミ」になったと云う。
また、神仏習合の時代には、大国主命はインドの闇黒神である大黒天と習合された。大国主命の「大国」と大黒天の「大黒」が、同じ「だいこく」と読めることからの習合か?
天台宗開祖の最澄(伝教大師、767年-822年)が、804年に遣唐使として唐に渡って三面大黒天の強大な力を知り、毘沙門天・弁才天と合体した三面大黒天を比叡山延暦寺の守護神として大黒堂に祀ったのが日本の大黒天の始まりと云う。
三面大黒天は、正面に大黒天(五穀豊穣・良縁)、向かって左に毘沙門天(武神)、右に弁才天(芸能、財宝)を合体して、現世利益の最強神となった。
延暦寺大黒堂
大黒天の色は「黒(玄武)」だから「北方の神」となる。東は青(青龍)、南は赤(朱雀)、西は白(白虎)。
北の方角は十二支では子(ネ)になるので、大黒天の神使いは子(ネズミ)になった。「大黒様」の祭りは子(ね)の日に行われ、特に年6回ある甲子(きのえね)の日を祭日とする。
「だいこく」つながりと「ネズミ」つながりで、大国主と大黒天は習合されたようだ。
七福神の大黒様は農業の神様で、米俵に乗り、大きな袋を抱え、打ち出の小槌を持った姿で描かれる。同じ七福神の恵比寿様は漁業の神様・商売繁盛の神様で、釣竿を持って、大きな鯛を抱えている。恵比寿・大黒は一組にして信仰されることが多い。
「敷津松之宮(大国主神社)」と「西宮神社」をご参照ください。
大国主命の生年は西暦160年頃と私は見ていたが、ちょうど160年は庚子(かのえね)の年だから、ネズミ年の大国主命の神使いはネズミになったのかもしれない。
ネズミ年の性格は、「問題から逃げる」と云う特徴があって、少々問題が発生しても、機転をきかせて対処することができるが、本当に重大な問題になると、早く見切って逃げてしまう弱点を持っているようだ。
これは占いだから、「当たるも八卦、当たらぬも八卦」だが、大国主命が西暦201年頃に「出雲の国譲り」を強制された時のあっけない譲歩は、これを証明しているのかもしれない。
「令和おじさん」で知られる内閣官房長官の菅義偉(すが よしひで)氏はネズミ年で、大黒様の衣装が似合いそうに感じます。苦労人で、人情に厚く、親しみやすい。
元首相の竹下登氏、福田康夫氏もネズミ年である。
私は古代史研究の合間に音楽を聴いていますが、ギターの好きな方は「City Cruise」を聴いてみてください。 フル画面で見るといいですよ!
印南神吉 メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp