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古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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2世紀末に地球規模の異常気象

ローマ帝国の第17代皇帝は、ルキウス・アウレリウス・コンモドゥス・アントニヌス(西暦161年-192年)で、在位期間は西暦180年から192年であった。

17代皇帝は16代皇帝の嫡男で、ネルファ・アントニヌス朝(西暦96年-192年)の最後の皇帝となる。

西暦190年にヨーロッパで穀物危機が発生し、ローマ帝国は民衆に十分な食料を確保できなかったので、それまでコンモドゥス皇帝を支持していた民衆が各地で暴動を起こすようになった。

皇帝は暴君となり、多くの元老院議員を処刑しようとしたが、事前に発覚し、31才の若さで近衛隊に暗殺されてしまい、ネルファ・アントニヌス朝は崩壊した。

西暦1921231日にコンモドゥス皇帝が暗殺されると、197年まで内戦が続いた。セプティミウス・セウェルス(146年-211年)が内乱を終結させ、セウェルス朝が成立。

  

ローマ皇帝の16代と17代が在位した時代(西暦161年-192年)は、日本列島では倭国王兼7代目奴国王の伊弉諾尊(いざなぎのみこと、西暦125年頃-190年頃)の時代であった。

西暦181年にニュージーランドの「タウポ火山の巨大噴火」により、世界的な気候変動が起き、地球規模の動乱が起きた。この年(西暦181年、辛酉年)に初代神武天皇が生誕、タウポ火山は現在でも火山活動が活発に起きている。

日本列島では、西暦180年代に倭国(北部九州)で「倭国乱」が勃発、倭王の伊弉諾尊が失脚し淡路島に隠遁、素戔嗚尊(西暦140年頃-200年頃)が亡くなった後、201年に卑弥呼(西暦179年-247年)が共立され女王に就任し、倭国乱が治まった。

紀元前3世紀のペルシャでは、ギリシャのアレキサンダー大王(紀元前356年-紀元前323年)の後継者・セレウコス1世ニカトール(紀元前358年-紀元前281年)が築いたセレウコス朝に支配されていたが、「遊牧イラン人」の族長・アルサケス(紀元前211年没)がカスピ海の南東にパルティア王国(紀元前248年頃-紀元後226年)を造って独立した。

パルティア王国のミトラダテス1世(紀元前195年-紀元前132年)は強大なペルシャ軍を育成、ローマ帝国とたびたび争った。繁栄を謳歌したパルティア王国も2世紀末の「世界的な異常気象」により次第に弱体化し、「農耕イラン人」のアルダシール(西暦180年-242年)によるササン朝ペルシア(西暦226年-651年)に取って代わられた。

アルダシールはゾロアスター教の神官出身であったので、ササン朝ペルシャはゾロアスター教を国教とした。ペルシャは日本列島から遠く離れているがアルダシールは、鬼道で人々の心をとらえた卑弥呼(西暦179年-247年)と同じ動乱の時期を生きた。どちらの王も異常気象と戦乱の世の中で、宗教を重視して人々の結束・統一を図った。

ローマ帝国では3世紀に大規模な動乱が発生し、存亡の危機となった。西暦260年にはローマ・ペルシャ戦争が勃発、ウァレリアヌス帝がエデッサの戦いでササン朝ペルシャ帝国のシャープール1世(西暦215年頃-272年頃)の捕虜となりペルシャに連行されてしまった。

2世紀末の異常気象により、ドイツ北東部に住んでいたゲルマン人が寒冷の北欧から南欧に侵入し始めた。やがてこれが4世紀後半の「フン族の侵入」や「ゲルマン人の大移動(大侵入)」に発展し、紀元前27年に始まったローマ帝国が西暦395年に東西分裂となる。分裂する前の西暦392年にキリスト教がローマ国教となった。混乱の世の中を治めるには、共通の宗教が必要であった。

中国では西暦184年に「黄巾の乱」が勃発、群雄割拠して後漢(西暦25年-220年)が衰退し、三国時代に入っていく。

卑弥呼は西暦238年に魏(220年-265年)に朝貢し、「親魏倭王」となる。248年に卑弥呼の後継者となった臺與(235年頃-295年頃)が、大陸の戦乱により大陸と交易ができなくなり、日本列島を統一するために、270年頃に大和国へ東遷したと考えられる。


大和国では1世紀終わり頃から、出雲系の人々が奈良盆地東部と西部に住み着き、磯城氏、三輪氏、鴨氏などになった。紀氏は紀伊半島を拠点とした。

2世紀後半になると、饒速日(西暦165年頃出生)が185年頃に東遷し、奈良県桜井市の纒向(まきむく)を都とした。

纏向の墳墓は纏向型前方後円墳で、纒向石塚古墳(全長96m)、纒向矢塚古墳(全長96m)、纒向勝山古墳(全長115m)の築造時期は3世紀前半である。

東田(ひがいだ)大塚古墳(全長120m)、「ホケノ山古墳」(全長80m)は3世紀中頃から後半の築造である。   

3世紀になると、神武天皇(西暦181年-248年)が204年に九州から東遷開始、臺與(235年頃-295年頃)が270年頃東遷、数次にわたって倭国(北部九州)から大和国(奈良県)に大部隊で移住し、列島の中心が北部九州の倭国から大和国(奈良県)に遷った。

更に、280年頃に定型的前方後円墳の「箸墓古墳」(全長278m)が完成、弥生時代から古墳時代に入っていく。    

この頃の奈良盆地は中央が湖(大和湖)になっており、人々は東西の山麓に住んでいた。

2世紀末にタウポ火山の巨大噴火により、地球規模の異常気象が発生し、200年ほどの間、世界中で戦乱や民族の移動が起こった。

日本列島でも、神功皇后(西暦321年-389年)の時代になって国内治安が平定され、海外派兵するまでになった。

現代も大量の二酸化炭素排出などで世界異常気象が起き、政治・経済・社会も混沌としているが、緊急を要する課題だと考えています。

印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp   


by enki-eden | 2020-02-13 09:18