2020年 02月 22日
古代ガラス
ガラスの製造はメソポタミアのシュメール人が5、000年ほど前に始めたと見られるが、同じ頃のエジプト第1王朝時代にもガラス玉が装飾用として使われていた。
古代ローマ時代になると、1世紀のポンペイ遺跡で、ガラスが家の採光用天窓として使われていた。溶けたガラスを鋳型に流してガラスを造り、天井の採光用に使った。
ガラス板は小さいので、大きなガラス板を造るには、鉛の枠にガラスをはめ込んで、多くの枠を繋いで大きく拡大していった。
中世になると、教会の窓に色ガラスを枠で繋いだステンドグラスが好まれた。
日本では、遮光器土偶で有名な青森県つがる市木造(きづくり)亀ヶ岡の亀ヶ岡遺跡(縄文時代晩期)でガラス玉が出土している。
遮光器土偶は中空になっているが、「玉津田中遺跡現地説明会」で見た土偶も中空であった。
弥生時代の遺跡でも土器と共にガラス玉が出土しており、装飾品として使われていた。また、ガラス製の勾玉や勾玉用の鋳型も出土しているので、ガラス製の玉と共に勾玉も製造していた。
「奈良文化財研究所」によると、「ガラスの破片をタコ焼き器のような形の鋳型につめ、加熱してガラス玉に加工した」とある。
弥生時代にはガラスの原材料は輸入していたと考えられるが、古墳時代には国内で生産したと考えられる。
尼崎市富松町(とまつちょう)の「富松神社(とまつじんじゃ)」を投稿しましたのでご覧ください。
印南神吉 メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp
by enki-eden
| 2020-02-22 11:21