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神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


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四霊(しれい)の亀(き)

「四霊(しれい)」とは、神獣の麟(りん、麒麟)、鳳(ほう、鳳凰)、亀(き、霊亀・神亀)、龍(りゅう、応龍)を云う。

「四霊」は吉兆を知らせる霊獣であるのに対して、「四神」は青龍、白虎、朱雀、玄武が東西南北という四方位を司る守護神である。

「霊亀」は長寿を象徴する霊獣になっている。日本のことわざにも「鶴は千年、亀は万年」とあり、長寿や縁起を祝う言葉になっている。

また、霊亀は瑞兆とされるので、奈良時代の元号にも「亀」が使われ、44代元正天皇の霊亀(715年-716年)、45代聖武天皇の神亀(じんき、724年-728年)、49代光仁天皇の宝亀(770年-780年)がある。

室町時代にも、文亀(1501年-1503年)と元亀(1570年-1572年)がある。

古代人は亀甲を占い(亀卜、きぼく)に使用し、吉凶や禍福を占った。この吉凶の兆しは、亀の甲羅(腹甲)を熱し、生じたヒビの形で占う。

日本では鹿の肩甲骨を使って占っていたが、奈良時代から亀卜に代わった。宮中行事では、現代でも大嘗祭などで亀卜による方法がとられていると云う。

中国戦国時代(BC403年-BC221年)の思想家である荘子(そうし、BC370年頃-BC310年頃)の「秋水篇」に、荘子が川で釣りをしていると、楚の威王(熊商、BC329年没)が使いをよこして、宰相として楚国の政務を執って欲しいと荘子を招聘した。

荘子は振り返りもせず、「楚の国には神亀がいたが、死んだので王はこれを絹に包んで先祖の霊廟にしまっておられるとのこと。

この亀にしてみれば、死んでその遺骸を大切にしまっておかれるのがよいのか、それとも、生きて泥水の中を自由に動きまわるのがよいのか、どちらがよいのでしょうか」と云った。

威王の使いは、「生きて泥水の中を動きまわるほうがよい」と言った。荘子は、「帰ってください。私も泥水の中を自由に動きまわることにします」と云って追い返した。

荘子は、戦国時代(BC403年-BC221年)に生きて厭世的になっていたのかもしれないが、自由人として悠然と生きていた。

戦国時代の前の春秋時代(BC770年-BC403年)には、楚の哲学者・老子が、道家の開祖とされている。荘子は、老子の思想を受け継ぎ、「老荘思想」として道教の経典とされており、全てをあるがままに受け入れ、世俗から離れ、自由奔放に生きる思想(逍遥遊)を展開した。

荘子の言葉として我々も知っているのは、「井の中の蛙(かわず)大海を知らず」、「無用の用」などがある。

楚(紀元前11世紀-BC223年)は、周の時代から春秋戦国時代にかけて存在した広大な国であった。国姓は羋(び)、国王の氏は熊(ゆう)で、初代の王は熊繹、全ての王が熊を名乗った。

楚は、同じ江南人の呉とは同盟を結んだこともあり、関係は良かった。呉の国姓は姫(き)であり、日本列島に渡来してからも楚人と呉人は、吉備国(岡山県)で共存した。吉備の地名由来は私見ですが、呉の姫(き)と楚の羋(び)を吉備(きび)と表現したと考えています。

吉備国や出雲国など中国地方の人々のDNAは縄文系が少なく20%弱、弥生系が多く楚系が20%弱、呉系が30%ほど、黄河系が30%ほどになっている。縄文人は殺されたか、逃亡したか。

また、吉備国の北西にある出雲国を拠点とする出雲族は楚人が中心だと考えています。素戔嗚命(西暦140年頃-200年頃)の父・布都(ふつ)は46代目楚王(最後の王)の熊負芻(ゆう ふすう、紀元前3世紀)の名に因んで布都としたのではないか。素戔嗚命の実名は布都斯(ふつし)。

出雲国風土記では、素戔嗚命のことを「野加武呂命」と記している。島根県松江市八雲町野の野大社の祭神は「伊邪那伎日真名子加夫呂伎野大神櫛御気野命(いざなぎのひまなご かぶろぎ くまのおおかみ くしみけぬのみこと、須佐之男命)」になっている。

    

また、楚国では霊亀を霊廟で祀っていたので、楚系の出雲族が祀る神社の神紋は「亀甲紋」になったのではないか。

松江市の熊野大社の神紋は、「亀甲紋に大」。

出雲大社(出雲市大社町)と八重垣神社(松江市佐草町)の神紋は、「二重亀甲紋に剣花菱」。

松江市大庭町の神魂神社(かもすじんじゃ)は、「二重亀甲紋に有」。

安芸の宮島の厳島神社は、「三つ盛り二重亀甲紋に剣花菱」で、出雲大社と同じ神紋が三つ並んでいる。祭神が、素戔嗚尊と大日孁貴の誓約(うけい)により出生した「三女神」だから、神紋が三つ並んでいるのか。

博多祇園山笠で有名な福岡市博多区の櫛田神社正殿櫛田宮の神紋は、「三つ亀甲紋に五三桐」。

しかし、出雲は北の国だから北方鎮護の神として、北方の玄武(亀)の亀甲が紋として残ったとも云われる。

私は、出雲系の亀甲紋は「楚の霊亀」が由来だと考えています。

中国の南北朝時代(西暦420年-589年)に、斉(西暦479年-501年)の祖冲之(そちゅうし)が編纂した「述異記」には、『亀は千年生きると毛が生え、五千年生きると「神亀」となり、万年生きると「霊亀」となる』と記されている。


姫路市の「才天満神社」を投稿しましたのでご覧ください。

印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp  


by enki-eden | 2020-03-19 11:44