古代の不弥国(ふみこく)
古代の不弥国(ふみこく)は、現在の福岡県糟屋郡(かすやぐん)と福岡市東区に相当する。現在の糟屋郡の町名は、宇美町(うみまち)、篠栗町(ささぐりまち)、志免町(しめまち)、須恵町(すえまち)、新宮町(しんぐうまち)、久山町(ひさやままち)、粕屋町(かすやまち)になっている。
糟屋郡の東隣りの古賀市も不弥国に含まれていた可能性がある。不弥国の「不弥」が宇美町の名の由来かもしれない。
延喜式の式内社は、福岡市東区志賀島の志賀海神社(志加海神社)であった。志賀島は聖地であったので、「漢委奴国王」金印が埋納された。
魏志倭人伝に記された3世紀の倭国(北部九州の28カ国)の中心国は奴国で、現在の福岡市に相当するが、福岡市西区の西半分は伊都国(糸島市)であったと考えられる。
奴国が倭国全体を統括していたが、特に奴国、伊都国、志摩国、不弥国は一体となって首都の機能を有していた。
奴国は政治経済の中心地、志摩国・伊都国は外交・検察・陵墓を担当、不弥国は祭祀を担当し貿易・漁労の港湾施設を有していた。4ヶ国とも玄界灘に面しているので、海人系(伊弉諾系、天照大神系、安曇氏・海部氏・尾張氏系・紀氏系)の部族が中心であった。
倭国の大きな国は邪馬台国と投馬国で、出雲系(素戔嗚系、物部系)の製鉄族が中心で、海人族を配下に置いて広域貿易をしていた。
素戔嗚尊が西暦200年頃に亡くなり、大国主命(160年頃-220年頃)が跡を継ぐと、201年に倭国女王になった卑弥呼(179年-247年)が大国主命に「国譲り」を強要、九州の出雲族支配地である「葦原の中津国(古賀市、福津市、宗像市、遠賀郡、北九州市)」、邪馬台国(筑後川周辺)、投馬国(福岡県東部・大分県)などが明け渡された。
「国譲り」はこれで終了せずに、列島全土に拡がっていく。
「ニュージーランドのタウポ火山の噴火」による世界的な異常気象により、2世紀末から長期にわたって波状的に人々の移住が続き、日本列島の中心地が北部九州から大和国(奈良県)に移った。
3世紀終わりに奈良県桜井市で定型的前方後円墳の箸墓古墳が築造されると、弥生時代が終了し、古墳時代に入っていく。
異常気象により、国の中心地が変わり、新しい時代になると云う激動の世紀であった。これは地球規模で起きた現象であった。異常気象に加えてウィルスが世界に蔓延する現在の状況もそのような兆しを感じる。
26代継体天皇(西暦460年頃-531年頃)の時、527年に筑紫君磐井(つくしのきみいわい)が反乱を起こした(磐井の乱)が、磐井は翌年に物部麁鹿火(もののべのあらかい)によって斬られ、鎮圧された。
磐井の子・葛子(くずこ)が連座で死罪になることを逃れるために、継体天皇に糟屋郡を献上して直轄地「糟屋屯倉(かすやのみやけ)」となった。
不弥国(糟屋郡)は福岡平野の東部にあり、博多湾に面し、海と山に囲まれた絶好の拠点であり、交通の要衝でもあった。粕屋町の発掘調査で、糟屋郡の官衙(かんが、役所)などの遺跡が確認されている。
粕屋町の阿恵遺跡(あえいせき)は、7世紀の飛鳥時代に糟屋郡の官衙であった。官道も見つかっている。官衙跡の500m 東に6世紀後半の前方後円墳である鶴見塚古墳(全長80m)があり、筑紫君葛子の墳墓かもしれないと云う。古墳は原型をとどめていない。
糟屋郡志免町田富の七夕池古墳は3段に築造された竪穴式石室の円墳で、国の史跡になっている。被葬者は4世紀末の高齢の巫女と考えられる。
野間尻遺跡(のまじりいせき)は弥生時代中期の甕棺墓群で、玄界灘周辺に多い海人族の墓地であった。
志免町別府北の横枕遺跡(よこまくらいせき)は弥生時代前期から中期の住居跡が出土、6基の方形住居跡が発見された。
明石市の「御崎神社」を投稿しましたのでご覧ください。
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