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古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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苅野神社(かりのじんじゃ、丹波市柏原町)

 兵庫県丹波市柏原町(かいばらちょう)上小倉(かみおぐら)270-1

 車は神社前にも停められるが狭いので、神社前の上小倉公園に停める。

 

 祭神 葛原親王(かずらはらしんのう、50代桓武天皇の第三皇子)

 丹波国氷上郡の延喜式内社。

 

 50代桓武天皇(737-806年)の第3皇子である葛原親王(786-853年)は当地荘園の領主であった。官位は一品(いっぽん)・太宰帥(だざいのそち)、桓武平氏の祖となり、68才の生涯を終えた。


 

 

 葛原親王は自分の王子たちを皇籍から外し、「平」姓を名乗らせ、子孫が桓武平氏となる。子孫の平将門(まさかど、903-940年)は、関東で勢力を挙げ、天慶(てんぎょう)2年(939年)の「平将門の乱」では「新皇」と自称して東国の独立を宣言したので、朝敵となって討ち取られた。

 平将門の首塚が東京都千代田区の将門塚にあり、胴塚は茨城県坂東市の延命院にある。

   

 江戸時代になると、将門は歌舞伎や浮世絵に取り上げられ、「怨霊」として描かれた伝説は大衆の人気となった。大衆の将門信仰が篤く、江戸総鎮守となった神田明神に祀られている。

   

苅野神社(かりのじんじゃ、丹波市柏原町)_d0287413_19125654.jpg

 

 天正6年(1578年)に明智光秀(1528-1582年)の丹波攻略で、現在地の南東にある金山(540m)の麓に鎮座していた当社は焼失。寛文7年(1667年)に現在地に遷宮した。

柏原八幡宮が当社を兼任している。    

 

 入り口の石の鳥居

 

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 入り口の説明板

 

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 階段を上ると神門、内部に両部額がある。

 

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 後ろを振り返る。

 

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  拝殿

 

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 本殿、市指定文化財。

 

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印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp  


by enki-eden | 2021-03-24 00:07