クナト(久那戸)神
出雲国の支配者である素戔嗚尊(すさのおのみこと、140年頃-200年頃)より前の時代から出雲に住んでいた「出雲神族」が祀っていたのは、龍蛇神の「クナト神」(道祖神)だと云う。
出雲の古い神様で、クナト神の妃は「幸ノ神(さいのかみ)」、子は「猿田彦神」になっている。
紀元前2000年頃、インダス文明のインド北西部のクナ国に住んでいたドラヴィダ族が、クナト王に従い日本列島にやって来た。クナ国から北部へ移動、バイカル湖からアムール川を下り、樺太を通り日本列島を南下、出雲に到着したという。
ドラヴィダ族は出雲で製鉄(蹈鞴製鉄)を伝え、陸稲も栽培した。これが出雲神族だという。「インダス川から縄文時代の日本列島に」をご参照ください。
出雲大社の東1kmの出雲市大社町修理免(しゅうりめん)本郷東1329に境外末社の「出雲井神社(いずもいじんじゃ)」が
鎮座、祭神は「岐神(くなどのかみ)」で道案内の神様。
出雲の地で祀られていた岐神が、出雲大社の境外末社として脇にやられたのか・・・クナト神は龍蛇神だから素戔嗚尊に
退治された八岐大蛇(やまたのおろち)と関係があるかもしれない。
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日本書紀に記されている「大国主命」、出雲国風土記に記されている「大穴持命」は、「クナト神」の事でしょうか。
出雲国風土記によると、佐太大神(猿田彦神)の父は麻須良神(ますらがみ)、母は支佐加比売命(きさかひめのみこと)になっている。
大国主命(160年頃-220年頃)は苦労の末に素戔嗚尊と親子の契りを結んだが、八十神からいじめられ、素戔嗚尊が200
年頃に亡くなり大国主命が跡を継ぐと、卑弥呼(179年-247年)が201年に倭国(北部九州)の女王となり、卑弥呼と高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)から「出雲の国譲り」を強制されてしまう。
先住民の出雲神族は弥生系に屈服したのかもしれない。出雲神族末裔の富氏の伝承は凄まじい。昔、吉田大洋著の「謎
の出雲帝国」を読んだことがあるが、最近は新装版も出ている。
クナト大神は、出雲神族の祖神で熊野大神、道祖神、塞の神、幸の神などと云われる。
クナトは大酋長で、アラハバキは女の酋長とも云う。男女が一対で、道祖神も男女一対の彫刻が多い。アイヌ語でクナトは男根、アラハバキは女陰と云うが・・・男女一対のこじつけかもしれない。
播磨風土記の揖保郡(いぼのこおり)、佐比岡(揖保郡太子町佐用岡、さよおか)によると、
「地名を佐比と名付けたのは、出雲の大神が神尾山(たつの市笹山、150m)にいて、この神は出雲の人がここを通ると10
人の内5人、5人の内3人を留めた。
それで出雲の人々が佐比(さひ、鍬)を作ってこの山裾に祀ったが鎮まることはなかった。その訳は、男神が先に来て女神
が後から来ていたが、男神が去って行ったので女神が恨んで怒っていたからである。佐比(鍬)は、塞の神(さいのかみ、さえのかみ)との繋がりでしょうか。
河内国茨田郡枚方の漢人が来て、この女神を崇敬し祀ったので神の怒りが鎮まった。それで神尾山と名付け、佐比で祀った山裾を佐比岡(揖保郡太子町佐用岡、さよおか)と呼んだ」とある。
印南神吉 メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp

