2022年 01月 06日
西ノ城古墳(にしのしろこふん、福岡県うきは市浮羽町流川)
うきは市の西ノ城古墳が3世紀後半築造の双方中円墳(そうほうちゅうえんふん)だと分かった。西日本新聞をご覧ください。
3世紀後半築造と言えば、私見ですが臺與(とよ、235年頃-295年頃)が270年頃に大和に東遷、纏向(まきむく)に箸墓古墳を築造、280年頃に完成した。
臺與が九州から運んだ卑弥呼(179年-247年)の遺骸を後円部に埋葬し、自らも295年頃に亡くなり前方部に埋葬されたと見ています。
定型的前方後円墳の箸墓古墳が築造されたことにより、時代は弥生時代から古墳時代へと変遷していく。
臺與の東遷に伊都国王の五十瓊殖(いにえ)も同行、後に全国を制覇し10代崇神天皇(251年-301年)となる。
天理市柳本町の崇神天皇陵に隣接して櫛山古墳(くしやまこふん)があり、これが4世紀の古墳時代に築造された双方中円墳(155m)になっている。被葬者は崇神天皇の身内でしょう。
古墳時代前の弥生時代末期(3世紀前半)に、岡山県倉敷市の「楯築遺跡」に双方中円墳が築造され、弥生時代末期の古墳になっている。
香川県高松市の「石清尾山古墳群(いわせおやまこふんぐん)」の猫塚古墳も櫛山古墳と同じ4世紀に築造された双方中円墳である。
大和国と吉備国に見られる双方中円墳が九州にも発見されたというのは驚きで、福岡県うきは市は邪馬台国の中心地に近いので、臺與と縁のある豪族一家の墳墓だったのではないか。
印南神吉 メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp
by enki-eden
| 2022-01-06 14:11

