鵜葺草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)
古事記には、天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)とあり、父は皇孫・火遠理命(ほおりのみこと、日子穂々出見命、山幸彦)、母は海神の娘・豊玉姫命。
豊玉姫が出産間近になったので、火遠理命(日子穂々出見命、ひこほほでみのみこと)が渚(なぎさ)に産屋(うぶや)を造り、鵜(う)の羽で屋根と壁を葺こうとしたが、葺き終わらない内に陣痛が始まってしまった。
豊玉姫は火遠理命に、「私は本来の姿で出産しますので、ご覧にならないでください。」と言ったが、火遠理命は隙間からこっそりと覗き見をした。すると、豊玉姫が大きなワニになってくねくねと這っていたので、火遠理命は怖くなって逃げ出した。
覗かれて恥ずかしい思いをした豊玉姫は、生まれた御子を置いたまま海神の国へ帰ってしまった。代わりに妹の玉依姫(たまよりひめ)を御子の養育のために送ってきた。
御子の名は天津日高日子波限建鵜葺草葺不合命(あまつひこひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)という。
鵜(う)の種類は海鵜、川鵜、姫鵜などがあるが、伊都国(糸島市)や奴国(福岡市)には鵜が繁殖できる場所が多い。また、産屋(うぶや)を造るのに適した海岸も多い。志摩芥屋の「幣(にぎ)の松原」や志摩野北の「幣(にぎ)の浜海岸」などは最適ではないでしょうか。
豊玉姫の「海神の国」は対馬の可能性が高い。宮(龍宮)は対馬の「和多都美神社」でしょうか。拝殿の左奥に「豊玉姫墳墓」がある。
或いは、豊玉姫の宮(龍宮)は「海神神社」でしょうか。
御子の鵜葺草葺不合命を生んだ渚は伊都国(糸島市)の海岸だと考えられる。豊玉姫も鵜葺草葺不合命も和邇(わに)族で、豊玉姫の活躍した地域は対馬国、壱岐国、伊都国(福岡県糸島市)、投馬国(福岡県東部から大分県)だと考えられる。
「和邇族」は宗像市の東にある北九州市(遠賀川周辺など)にも拠点があり、初代神武天皇(181年-248年)とも縁が深い。
鵜葺草葺不合命が成長し、玉依姫と結婚して生まれた子は五瀬命(いつせのみこと)、稲氷命(いなひのみこと)、御毛沼命(みけぬのみこと)、若御毛沼命(神倭伊波礼彦命、かむやまといわれひこのみこと)である。
五瀬命と伊波礼彦命(181年-248年)は西暦204年に九州を出発、大和国に向かった。五瀬命は河内国の草香(日下、くさか)の戦いで負傷して亡くなる。
伊波礼彦命は紀伊半島を迂回して戦い抜き、209年に大和国に到着、211年に橿原(かしはら)で即位して初代神武天皇となった。
神武天皇が生まれた西暦181年は辛酉年である。明治政府は、神武天皇即位を辛酉年の紀元前660年とした。辛酉年は60年に一度巡ってくるが、神武天皇の生誕が辛酉年の西暦181年で、即位は211年の辛卯年である。
因みに、初代奴国王の国常立尊(くにのとこたちのみこと)も辛酉年の西暦元年生まれである。私見ですが、皇室の紀元(皇紀)を国常立尊生誕の西暦元年(辛酉年)と見ています。
国常立尊が西暦57年に後漢の光武帝(紀元前6年-西暦57年)から授かった「漢委奴国王」金印は、国宝で福岡市博物館が所蔵しているが、偽物だという説もある。
「漢委奴国王」金印のサイズや金含有量などに問題は無く、発見された江戸時代に偽造するのは不可能だと思いますがねぇ・・・
日本書紀に、鵜葺草葺不合命は彦火火出見命、神武天皇の実名は彦火火出見命とあり、親子とも彦火火出見命を名乗っている。
海部氏と尾張氏の祖・天照国照彦天火明命(あまてるくにてるひこあめのほあかりのみこと、140年頃出生)と対馬の天道日女命(あまじひめのみこと、あめのみちひめのみこと)との子は天香語山命で別名は彦火火出見命である。
豊玉姫が皇孫・日子穂々出見命との御子を生んで鵜葺草葺不合命(彦火火出見命)と名づけ、その御子・神武天皇の別名も彦火火出見命であるから、皇孫・日子穂々出見命は天照国照彦天火明命のことではないか。私見の系図をご覧ください。

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