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古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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糸島市志摩の神社

福岡県糸島市志摩は、1世紀から3世紀の弥生時代末期に、天孫、海人族、製鉄族などが活躍した風光明媚な地で、記紀にも詳しく述べられている。

志摩(島)は、三国志魏志倭人伝に記載の「斯馬国(しまこく)」だと考えられるが、半島の東部が奴国領(福岡市西区)で西部が伊都国領(糸島市志摩)だったのかもしれない。

志摩に縁の深い豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、鵜草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、瓊々杵尊(ににぎのみこと)などを祭神とする志摩の神社を見てみましょう。

糸島市志摩の神社_d0287413_10001597.jpg

綿積神社(わたつみじんじゃ)  糸島市志摩芥屋(けや)3747

祭神は、大綿積神(おおわたつみのかみ)で、海神、綿津見大神、豊玉彦命などとも云う。

天孫、和邇氏、安曇氏、海部氏、尾張氏など海人族の祖神。伊弉諾命(いざなぎのみこと、125年頃-190年頃)の子とされるので西暦140年頃の出生か。

綿積神社の地図、

「拡大地図を表示」をクリックして写真をクリックすると多くの写真を見ることができます。



倭国(北部九州の28ヶ国)の海人族は、対馬国、壱岐国、伊都国、奴国、投馬国などを船で行き来しながら、生業は海運、漁労、製鉄、手工業などで、大陸(後漢、楽浪郡、帯方郡)とも交易を進めていた。

倭国の中でも伊都国、奴国、不弥国は連携して首都の機能を発揮、政治・経済・交易の中心地であった。  

「奴国は弥生末期の中心地」をご参照ください。

志摩芥屋(けや)の地名由来は蹈鞴製鉄(たたらせいてつ)で取り出す「ケラ」だと云う。蹈鞴製鉄を行うと、炉の底に鉄の塊の「ケラ」が出てくる。この鉄を加工して工具・武器・農具などを生産する。

海人族には造船用の木材や、ノミなどの鉄製品・武器が必要なので蹈鞴製鉄をしていた。農民には農具を供給していた。

 

大祖神社(たいそじんじゃ)  糸島市志摩芥屋675

祭神は、伊邪那岐大神(いざなぎのおおかみ)、伊邪那美大神(いざなみのおおかみ)、

天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)、

彦波瀲武鵜草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)、

玉依姫命(たまよりひめのみこと)、草野姫命(かやのひめのみこと)、

底津綿津見神(そこつわたつみのかみ)、中津綿津見神(なかつわたつみのかみ)、

上津綿津見神(うわつわたつみのかみ)、

底筒之男命(そこつつのおのみこと)、中筒之男命(なかつつのおのみこと)、

上筒之男命(うわつつのおのみこと)、

神直日命(かむなおひのみこと)、大直日命(おおなおひのみこと)、

八十抂津日命(やそまがつひのみこと)。

 

 玄武岩柱状節理の「芥屋の大門(けやのおおと)」の近くに鎮座している。



塩土神社(しおつちじんじゃ)  糸島市志摩芥屋370

祭神は、塩土神(事勝国勝長狭神、ことかつくにかつながさのかみ)。

日本書紀では塩土老翁(しおつちのおじ)と記す。

山幸彦(彦火火出見尊、140年頃出生)が海幸彦の釣り針をなくして困っていたので、塩土老翁が海神の宮(龍宮)に行かせ釣り針が戻った。

私見ですが、山幸彦が豊玉姫命の産屋を造った渚は、志摩の「幣(にぎ)の松原」か「幣(にぎ)の浜」だと見ています。




卑弥呼(179-247年)が西暦201年に倭国(北部九州28ヶ国)の女王に就任、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと、140年頃出生)が大国主命(160年頃-220年頃)に葦原中津国(北部九州の出雲族支配地)を譲るように強制した。

伊都国・斯馬国(糸島市)は五十猛命(素戔嗚尊の次男)が治めていたので、天孫族が引き継ぐために天孫・瓊々杵尊(ににぎのみこと、175年頃出生)が伊都国と斯馬国に降臨し、塩土老翁が土地を献上した。

瓊々杵尊(ににぎのみこと)と木花開耶姫(このはなさくやひめ)が出会ったのも塩土神社前方の「幣(にぎ)の松原」だという。神社の社殿は西向きに建っているので、参拝者は東の海に向かって拝むことになる。

また、塩土老翁は神武天皇(181-248年)が204年に東征の出発をするときにも協力している。塩土老翁は、亦名を住吉大神と云う説がある。

境内の手水舎には、災いを祓い、福を招く真砂の「お潮井(おしおい)」がある。


引津神社(ひきつじんじゃ)  糸島市志摩船越245

 祭神は、天津彦火瓊々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)、

伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冉命(いざなみのみこと)。

 引津湾を見下ろす丘の上に鎮座。

 天孫の瓊々杵尊は、志摩(糸島市)で木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)に逢い、妻とした。


若宮神社(桜谷神社)  糸島市志摩船越309

祭神は、苔牟須売神(こけむすめのかみ、磐長姫命)、

木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。

大山祇神の娘で、磐長姫命が姉。妹の木花咲耶姫命は天孫・瓊々杵尊

(ににぎのみこと)の妻となる。

   

2世紀中頃の伊都国と斯馬国(志摩国)は現在の福岡県糸島市で、大山祇神(西暦140年頃出生)が治めていたと考えられる。

大山祇神は、娘の神大市姫を素戔嗚尊(140年頃-200年頃)に嫁がせた。2世紀後半になると伊都国と志摩国は素戔嗚尊の第2子・五十猛命(いたけるのみこと)が治めたと考えられる。   

大山祇神は、娘の磐長姫命と木花咲耶姫命を天孫・瓊々杵尊に嫁がせたが、磐長姫命は

醜いとして返された。


綿積神社  糸島市志摩船越170

祭神は、豊玉彦命、鵜茅葺不合命(うがやふきあえずのみこと)、豊玉姫命。

参道に桜並木と境内に万葉の里(万葉公園)が整備されている。

社殿は引津湾に面して鎮座している。

山幸彦(彦火火出見尊)が海宮(わたつみのみや、龍宮)で豊玉姫命と逢い、生まれた子が鵜茅葺不合尊。

豊玉姫命が産気づいたので、山幸彦が大慌てで志摩の海岸に産屋(うぶや)を造り始めたが、屋根と壁に鵜の羽を葺き終わらないうちに出産となった。

それで、生まれた子に「鵜茅(うがや)が葺き終えなかった」と云う意味の名をつけた。

豊玉姫の出産が急だったので、大急ぎで産屋(うぶや)を造る必要があった。茅(かや)を刈り取る時間がないので代わりに鵜の羽を集めて代用した。しかし、鵜の羽をたくさん集めるのも時間がかかるので、家屋に使っていた古い茅を使ったのかもしれない。長年使っていた茅は煮炊きの煙で真っ黒になっているので、鵜の羽のような黒い色になる。鵜茅(うがや)は鵜の羽ではなく、使い古して黒ずんだ茅かもしれない。


可也神社(かやじんじゃ)  糸島市志摩小金丸

祭神は、神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)、

     倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。

可也山(かやさん、糸島富士、365m)の山頂近くに鎮座。

神日本磐余彦尊は初代神武天皇(181-248年)で、204年に北部九州を出発して大和国に東征、209年に大和に入る。211年(辛卯年)に大和橿原で即位した。

戦前の皇国史観では、神武天皇即位を紀元前660年の辛酉年としているが、神武天皇の生誕が西暦181年の辛酉年である。即位年の西暦211年は辛卯年である。

因みに初代奴国王の国常立尊(くにのとこたちのみこと)の生誕は、私見ですが西暦元年の辛酉年です。


花掛神社  糸島市志摩岐志699-1

祭神は、底筒之男命、中筒之男命、表筒之男命、息長足姫命(神功皇后)。

神功皇后(321-389年)が363年の新羅遠征の前に勝利祈願で山に花を掛けて住吉大神(住吉三神)を祀った。それで花掛山と云う。その後、山裾の現在地に遷座。


若宮神社  糸島市志摩津和崎300

 祭神は、木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)。

 社殿後方に「後口古墳」がある。


姫島神社(ひめしまじんじゃ)   糸島市志摩姫島105

祭神は、豊玉姫命(とよたまひめのみこと)、鵜草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)、

伊弉諾命(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、

天一根命(あまのひとつねのみこと)、市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、

素戔嗚命(すさのおのみこと)、稲田姫命(いなだひめのみこと)。

姫島では、島の北にある「産の穴(うぶのあな)」が豊玉姫命の生誕地とされている。姫島にも海鵜が生息している。

姫島の別名が天一根(あまのひとつね)と云う。




「伊都国を掘る」をご参照ください。  


 

印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp  


by enki-eden | 2022-01-22 10:13