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古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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井光(いひか)

日本書紀によると、

『神武天皇が東征の途中、大和国宇陀(うだ)の兄猾(えうかし)を成敗した後、宇陀から吉野へ巡幸した。

すると井戸の中から人が出てきた。その人は体が光っていて尻尾があった。天皇が「お前は何者か」と問うと、「国津神で、名は井光(いひか)です」と答えた。これは吉野の首(おびと)らの先祖である。

さらに少し進むと、また尾のある人が岩を押し分けて出てきた。天皇が「お前は何者か」と問うと、「石押分(いわおしわく)の子です」と云う。これは吉野の国栖(くず)の先祖である。

川(吉野川)に沿って西においでになると、また梁(やな)を設けて漁をする者があった。天皇が尋ねられると、「苟苴担(にえもつ)の子です」と云う。これは阿太の養鸕(うかい)らの先祖である。』

井光(いひか)は、古事記には井氷鹿(ゐひか)と記され、新撰姓氏録には「加彌比加尼命(かみひかねのみこと)」、「水光姫(みひかひめ)」と記されている。

国宝の海部氏系図には、「伊加里姫」(いかりひめ、水銀の女神)と記されている。

井光(いひか)_d0287413_20570855.png

神武天皇(181-248年)の東征の目的の一つは「水銀の確保」であった。東征の途中、吉野の山中で、「もし飴(水銀)ができれば武器を使わないで天下を平らげるだろう」と云った。

丹波の伊加里姫は、西暦185年頃に饒速日命(にぎはやひのみこと)に従って北部九州から大和国へ東遷した天村雲命(あめのむらくものみこと)の妻となり、大和葛木(葛城市)に移る。そして、倭宿禰(やまとのすくね、椎根津彦・珍彦、大和国造祖)と角屋姫(つぬやひめ、葛木出石姫)を生んだ。

伊加里姫の父は、天白雲別命(あめのしらくもわけのみこと)。

その後、天村雲命は伊勢国に移るが、伊加里姫は葛木から吉野に移り、水銀(辰砂)採掘に従事したと考えられる。


神武天皇(181-248年)が、大和国に東征するために西暦204年に北部九州を出発。同じ世代の倭宿禰(椎根津彦、185年頃出生)が海人族として大和と北部九州を往来して交易をしていた。

豊後水道で神武天皇に出会った椎根津彦は水先案内人として東征に加わった。

神武天皇が吉野の山中で井光(いひか、伊加里姫)に出会った時に、同行していたのは久米氏の兵隊で、椎根津彦は吉野巡幸には同行していなかったと考えられる。

井光神社(いかりじんじゃ)

奈良県吉野郡川上村(かわかみむら)井光(いかり)34

井光川(いかりがわ)が吉野川に注ぐ2.5km手前の井光川沿いに鎮座。

祭神は井光神(井氷鹿)。



 神社の北1.5kmに奥宮、井氷鹿の井戸跡、「神武天皇御旧跡井光井蹟」石碑、

「吉野首部連祖加彌比加尼(かみひかね)之墓」石碑がある。

 神武天皇は、ここで天羽羽矢(あめのははや)を納め、進軍の勝利を祈願した。




紀伊半島の吉野には「水銀の女神」を祀る神社が多い。「丹生都比売神社」をご参照ください。   

また、奈良県葛城市の「長尾神社」をご参照ください。

     

印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp  


by enki-eden | 2022-01-26 00:03