阿俾良依姫(あひらよりひめ、あいらよりひめ)
日向(ひむか)の阿俾良依姫は、天村雲命(天五多底、あめのいたて)の妻となり、天忍人命(あめのおしひとのみこと)、天忍男命(あめのおしおのみこと)、忍日女命(おしひめのみこと)を生んだ。

天忍人命は、「天村雲命」と丹波伊加里姫との子である角屋姫(つぬやひめ、、葛木出石姫)を妻とし、天登目(天戸目)を生んだ。古代には腹違いの兄妹の結婚はよくあった。
天村雲命は度会(わたらい)神主の祖であり、度会氏は伊勢神宮外宮の禰宜を世襲、また天村雲命の子孫から尾張氏、和邇氏が派生し、皇族と繋がっていく。
天村雲命は素戔嗚尊(140年頃-200年頃)とは血縁ではないが、姻戚になる。姻戚の祖父と孫の間柄であった。それで、天村雲命と命名したのは素戔嗚尊だったと考えられる。
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)は素戔嗚尊が「八岐大蛇(やまたのおろち)」を退治したときに獲得した鉄剣で、「三種の神器」の草薙剣(くさなぎのつるぎ)になっており、熱田神宮に祀られている。
ただし、天村雲命の祖母である佐手依姫の別名は市杵嶋姫命(狭依毘売、さよりひめ)とも云うので、その説が正しければ天村雲命は素戔嗚尊の曽孫となって血縁となる。従って素戔嗚尊が天村雲命の命名者である可能性は高い。
天忍男命は、葛木剣根(かつらぎつるぎね)の娘・葛木賀奈良知姫(かならちひめ)を妻とし、瀛津世襲命(おきつよそのみこと、葛木彦)と世襲足姫(よそたらしひめ)を生んだ。
瀛津世襲命(尾張氏の祖)は5代孝昭天皇の大連(おおむらじ)となり、妹の世襲足姫は孝昭天皇の皇后となる。
初代神武天皇(181年-248年)が九州で妻としたのは吾平津媛(あひらつひめ)で、子の手研耳命(たぎしみみのみこと)を大和東征時に連れてきた。
神武天皇の妃となった吾平津媛の名は、天村雲命の妃となった阿俾良依姫とよく似ている。二人は姉妹か従姉妹かもしれない。
神武東征に吾平津媛は同行しなかったが、同行したと云う説もある。「神武天皇社」をご参照ください。8年前の投稿で、生没年などは少し違っている部分があります。
神武天皇と縁のある宮崎県日南市油津(あぶらつ)に、吾平津毘売命を祀る吾平津神社が鎮座、地名の「あぶらつ」も「あひらつ」が由来とも云う。
油津の西北の宮崎県日南市に現在でも「吾田(あがた)」と云う地名が残っており、吾平津媛は日向国(ひむかのくに)吾田邑(あたむら)の日向隼人出身と云う。
日南市戸高には吾平津姫命を祀る吾田神社(あがたじんじゃ)が鎮座している。
神武天皇は東征前に南方貿易に従事しており日向国に滞在、沖縄と貝交易をしていた。更に高い収益を得られる水銀(辰砂)に目を付け、西暦204年に九州を出発、大和東征を開始した。また、神武東征は西暦201年の「出雲の国譲り」の一環であり、天孫族が全国を制覇する初動となった。
「弥生時代の交易」をご参照ください。
印南神吉 メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp

