天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)
日本書紀には、正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほみみのみこと)と記され、古事記には、正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)と記されている。
7代目奴国王兼倭王の伊弉諾尊(いざなぎのみこと、125年頃-190年頃)が、「天照大神は高天原(たかまのはら)を治めなさい。月読尊(つくよみのみこと)は青海原の潮流を治めなさい。素戔嗚尊(すさのおのみこと)は天下を治めなさい。」と云って任命した。
しかし、素戔嗚尊(140年頃-200年頃)は言動が悪く、高天原を追い出されてしまう。
素戔嗚尊が、天照大神に別れの挨拶をするために高天原を訪ねたところ、天照大神は高天原を奪われるのではないかと疑い素戔嗚尊に詰問する。
素戔嗚尊は、お別れの挨拶をしたかっただけなので疑いを晴らすために二人で誓約(うけい)をしようと提案する。
誓約により素戔嗚尊が女子を生んだら汚い心がある、男子を生んだら清い心があると云うことにして誓約を始めた。
天照大神が素戔嗚尊の十握剣(とつかのつるぎ)を三つに折って天の真名井ですすぎ、噛んで吹き出した霧の中から三柱の女神が生まれた。田心姫(たごりひめ)、湍津姫(たぎつひめ)、市杵嶋姫(いちきしまひめ)であった。
素戔嗚尊が天照大神の御統(みすまる、腕輪)を真名井ですすぎ、噛んで吹き出した霧の中から五柱の男神が生まれた。正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(まさかあかつかちはやひあまのおしほみみのみこと)、天穂日命(あめのほひのみこと)、天津彦根命(あまつひこねのみこと)、活津彦根命(いくつひこねのみこと)、熊野樟日命(くまのくすひのみこと)であった。
素戔嗚尊は誓約に勝ち、清い心が証明され、素戔嗚尊の剣から生まれた三女神は素戔嗚尊の子となり、宗像大社に祀られている。
天照大神の御統(みすまる)から生まれた五男神は天照大神が引き取り養った。天忍穂耳尊が天照大神の長男とされる。
素戔嗚尊が西暦200年頃に亡くなると、当時の習慣で末娘・須世理比売(すせりひめ)の夫である大国主命(160年頃-220年頃)が後を継いだ。
しかし、201年に倭王となった卑弥呼(179年-247年、天照大神②)は、高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)の支持を受け、北部九州の出雲族支配地(葦原中津国)を引き渡すようにと大国主命に迫り、「出雲の国譲り」が強制された。
国譲りの結果、天忍穂耳尊が葦原中津国に天降ることになったが、天忍穂耳尊は子の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)を葦原中津国に降臨させた。瓊瓊杵尊は素戔嗚尊と天照大神の孫なので、西暦180年前後の生誕だと考えられる。
瓊瓊杵尊は20代前半の頃に葦原中津国に天降った。

「日本三彦山」をご参照ください。
天忍穂耳尊の「天」は高天原を表し、「忍」は偉大なという意味。「穂」は稲穂の神霊と云われるが、私見では稲穂ではなく蹈鞴製鉄の「火(ひ、ほ)」だと見ています。「耳」と「尊」は尊称。
古代有力者の生業は、金属鉱山開発・蹈鞴製鉄・金属製品製造・造船・交易などで、稲作農民を支配下に置いていた。
印南神吉 メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp

