中尾山古墳(奈良県高市郡明日香村)
42代文武天皇陵の北西300mの奈良県高市郡明日香村平田444に有名な高松塚古墳があり、更にその北300mに
中尾山古墳(国指定史跡)がある。
文武天皇陵は明日香村平田410-1にあり、陵の形態は山形で、宮内庁が檜隈安古岡上陵(ひのくまのあこのおかのえのみささぎ)として文武天皇(683年-707年)の陵墓と治定している。
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真の文武天皇陵は中尾山古墳ではないかと云う説が多かったが、令和2年の発掘調査で中尾山古墳が真の文武天皇陵であると確かめられた。
600m北東の明日香村野口には天武・持統天皇陵がある。
中尾山古墳は8世紀初頭に築造の八角墳で別名は中尾石墓と呼ばれていた。八角墳築造は当時の天皇だけに認められていた。
現在の中尾山古墳は樹木が多いが、標高114mあり、樹木が無ければ明日香村を一望できる立地のようだ。
「明日香村」をご参照ください。
中尾山古墳は、昭和49年に橿原考古学研究所が調査し、墳丘は川原石を巡らし対辺長30mほどの三段築成の八角墳だと判明した。横口式石槨には骨蔵器が安置されていたと推定されている。
世界遺産登録に向けて、明日香村教育委員会と関西大学が令和2年に再発掘した。三段の墳丘(高さ5m)は大量の石で覆われ、天皇の火葬骨を納めたと考えられる高級石材(竜山石)を磨き上げた石室を確認した。
石材や川原石の総量は560トンで、築造動員数は延べ2万人と云う。
八角墳は当時の天皇陵の特徴で、中尾山古墳が真の文武天皇陵だと確信されていても、宮内庁は例によって陵墓の治定を変更することはない。
文武天皇は草壁皇子(689年没)と43代元明天皇(女帝、661年-721年)の皇子(軽皇子、かるのみこ)で、父とは7才の時に死別、15才で祖母の41代持統天皇(645年-703年)から譲位され42代天皇に即位し、701年に大宝律令を制定した。
文武天皇は藤原不比等(659年-720年)の長女・藤原宮子(683年-754年)を夫人(ぶにん)とし、その皇子は45代聖武天皇(701年-756年)となった。
印南神吉 メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp

