保食神(うけもちのかみ)
日本書紀によると、天照大神が「葦原中津国(あしはらのなかつくに)に保食神(うけもちのかみ)がいる。月夜見尊(つくよみのみこと)、お前が行って見てきなさい」と云われた。
それで月夜見尊は保食神のもとに行った。保食神が首を回し、陸の方に向かうと口から米の飯が出てきた。海に向かうと口から大小の魚が出てきた。また山に向かうと口から毛皮の動物たちが出てきた。口から出てきた全部のものを揃えて机に
乗せて月夜見尊をおもてなしした。
このとき月夜見尊は怒って、「汚らわしい、卑しい。口から吐き出した物を私に食べさせようとしている」と云った。そして剣を抜いて保食神を斬り殺した。
高天原に戻った月夜見尊は、天照大神に詳細を報告した。すると天照大神は非常に怒り、「お前は悪い神だ。もうお前に会いたくない」と云われて、天照大神は昼に住み、月夜見尊は分かれて夜に住むことになった。
天照大神は、お供え用の米を作る天熊人(あめのくまひと)を派遣して保食神を確認させた。保食神は死んでいたが、頭に牛馬が生まれ、額に栗が生まれ、眉の上に蚕が生まれ、眼の中に稗が生じ、腹の中に稲が生じ、陰部に麦・大豆・小豆が生じていた。
天熊人は全部持ち帰って天照大神に奉った。天照大神は大いに喜び、栗・稗・麦・豆を畑の種とし、稲を水田の種とした。
その秋の収穫は大豊作となった。また天照大神は蚕の繭を口に含んで糸をひくことができた。それで養蚕が盛んになった。
保食神(うけもちのかみ)の「うけ」は食物のこと。豊受大神(とようけのおおかみ)の「うけ」も宇迦之御魂命
(うかのみたまのみこと)の「うか」も食物のことだと云う。
古事記によると、伊弉諾命(いざなぎのみこと、125年頃生)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)が国産みをしたときに伊予二名島(いよのふたなのしま、四国)が生まれた。
この島は体が一つで顔が四つあり、伊予国(愛媛県)を愛媛(えひめ)といい、讃岐国(香川県)を飯依比古(いいよりひこ)といい、粟国(阿波国、徳島県)を大宜都比売(おおげつひめ)といい、土佐国(高知県)を建依別(たけよりわけ)という。
伊予の愛媛と土佐の建依別が男女一組で、粟の大宜都比売と讃岐の飯依比古が男女一組として、伊予二名島と云う。男女の組み合わせは違う組み合わせの説もある。
高天原を追放された須佐之男命(すさのおのみこと、140年頃-200年頃)が粟国(阿波国、徳島県)にやって来て、(女王の)大宜都比売(大気都比売神)から接待を受けた。
大宜都比売(食物・穀物の女神)は、鼻・口・尻から色々な物を取り出し、調理して差し出した。須佐之男命は汚いと言って大宜都比売を殺してしまった。
すると、大宜都比売の頭には蚕が生じ、目には稲の種が生じ、耳には粟が生じ、鼻には小豆が生じ、陰部には麦が生じ、尻には大豆が生じた。
そこで、神産巣日御祖命(かみむすひのみおやのみこと、神皇産霊神)がこれらを全部収集して種とした。大宜都比売(おおげつひめ)の意味は「大いなる食物の女神」。
この古事記の記事は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が阿波国にやって来て接待を受けた時に、接待側の落ち度でトラブルが発生したことの古代人らしい表現方法なのでしょう。
古代人と現代人とは科学的な見識も全く違うし、表現方法も古代人は大変オーバーになっているので、記事を言葉通りに受け取らず、現代人が納得できる表現方法で理解する必要がある。
また倭国(北部九州)の天孫族が、農産物の豊富な葦原中津国を支配下に置いて貢がせていた物語であるとも考えられる。後の大和国(奈良県)になると、志摩国(三重県)、若狭国(福井県)、淡路国(兵庫県)を御食国(みけつくに)と称して
海産物を貢がせていた。
保食神も大宜都比売神も食物・五穀の神で、その死体から五穀や蚕が生じている。殺された死体から作物が生じると云う
神話は世界中にあるが、インドネシアの神話が列島に伝わったと云う説がある。おそらく南方から列島にやって来た縄文人
由来の神話だと考えられる。
弥生土器はシンプルで実用的な土器であるが、縄文土器は実用性よりも宗教的で芸術的な表現を取り入れている。
女性の顔付き縄文土器もある。土器に入れた食物を取り出す時に、女神(豊穣の神)の体から食物を頂くと云う感覚でしょうか?
土器自体が女性の体として表現された縄文土器があり、土器の上部に女性の顔が付いて、下部に出産時の赤ちゃんの顔が付いている土器がある。
山梨県立考古博物館の「出産文土器」をご覧ください。
印南神吉 メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp

