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古代史探訪 enkieden.exblog.jp

神社、遺跡めぐり   1943年生   印南神吉 (いんなみかんき)


by enki-eden
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市辺之忍歯王(いちのへのおしはのみこ)

 17代履中天皇が、葛城之曽都比古(かつらぎのそつひこ)の子である葦田宿禰の娘の黒比売と結婚して、市辺之忍歯王(いちのへのおしはのみこ)、御馬王(みまのみこ)、青海郎女(あおみのいらつめ、飯豊王)の3人が生まれた。

 

 履中天皇が、難波宮(なにわのみや)で大嘗祭(だいじょうさい)の後、饗宴で御酒(みき)を飲み過ぎて寝てしまった。この時、天皇の弟の墨江中王(すみのえのなかつみこ)が天皇を殺そうとして御殿に火を付けた。

 そこで、倭の漢直(あやのあたい)の祖先の阿知直(あちのあたい)が天皇を助け出し、石上神宮(いそのかみじんぐう)に逃れた。

 履中天皇は、同母弟の水歯別命(みずはわけのみこと、18代反正天皇)に墨江中王を殺させた。

 

 履中天皇の同母弟の允恭天皇(いんぎょうてんのう)が19代天皇となった。皇子の穴穂御子は20代安康天皇となったが、456年に眉輪王(まよわのおおきみ)に殺されたので、弟の大長谷王子(おおはつせのみこ、21代雄略天皇、432-479年)が眉輪王と葛城之円(つぶら)を殺した。

 

 21代天皇が未だ決まらない時に、大長谷王子が天皇候補の市辺之忍歯王(いちのへのおしはのみこ)を狩りに誘い、近江国の久多綿(くたわた)の蚊屋野に出かけた。

 大長谷王子と市辺之忍歯王が馬を並べて駈けている間に、大長谷王子は市辺之忍歯王を弓矢で射殺し、地面に埋めた。

 滋賀県東近江市市辺町961に市辺古墳(市辺之忍歯王の墓)という円墳があり、宮内庁が管理している。

 

 

 滋賀県蒲生郡日野町音羽に押盤神社(おしわじんじゃ)があり、祭神は天穂日命と押盤皇子命(市辺之忍歯王)。

  

 


 市辺之忍歯王の皇子の意祁王(おけのみこ)と袁祁王(おけのみこ)は、父を殺され身の危険を感じ、播磨国に逃亡した。播磨の志自牟(しじむ)という人の馬飼・牛飼として身分を隠して働いた。

 兵庫県三木市に志染町(しじみちょう)があり、志染川が流れている。古代に志自牟(しじむ)が住んでいたからか、志染に住む豪族なので志自牟と呼ばれたのか?

 三木市志染町の南は神戸市西区押部谷(おしべだに)で、両町は同じ豪族が治めていた。「押部谷」は大和国葛城郡忍海(奈良県葛城市忍海、おしみ)の忍海部(おしんべ)の領地であった。飯豊青皇女(忍海部女王、おしぬみべのひめみこ)の御名代部(みなしろべ)が忍海部であった。


 大長谷王子は21代雄略天皇として即位し、朝倉宮で天下を治めた。次に雄略天皇の皇子が22代清寧天皇となったが、皇后もなく皇子もなく崩御した。

 市辺之忍歯王の妹の忍海郎女(おしぬみのいらつめ、飯豊王)は葛城の忍海の高木角刺宮(たかきのつぬさしのみや)に住んでいた。清寧天皇が崩御した後、御子がいなかったため履中天皇皇女の飯豊王が高木角刺宮で政治を司っていた。

 但し、飯豊王と飯豊青皇女に関しては解釈が混乱しているので、諸説ある。

 

 その頃、山部連小楯(やまべのむらじおだて)が播磨国の長官として任命された。播磨の志自牟(しじむ)の家の新築祝いの宴会に小楯が呼ばれた。

 次々に皆が舞っている後で、火焚きとして竈にいた意祁王(おけのみこ)と袁祁王(おけのみこ)も舞うように云われ、弟の袁祁王(おけのみこ)が舞うときに、「我らは市辺之忍歯王の皇子であるが、今は奴の身となっている。」と歌うように云った。

 それを聞いた小楯は床から転がって驚いて、二人を仮宮に住まわせ、早馬で都に知らせた。二人の皇子の叔母である

飯豊王は歓喜し、角刺宮(つぬさしのみや)に招いた。

 その後、飯豊王は崩御したが意祁王(おけのみこ)と袁祁王(おけのみこ)が譲り合って即位しないので、姉の飯豊青皇女が角刺宮で代理の政務を執っていた。

 

 播磨の志自牟(しじむ)の新宅で、弟の袁祁王(おけのみこ)が身分を明らかにしたことにより都に帰ってこられたと云って、兄の意祁王は弟に帝位を譲った。

 袁祁王(おけのみこ)は23代顕宗天皇(けんぞうてんのう)として即位した。顕宗天皇は父の市辺之忍歯王(いちのへのおしはのみこ)が殺された近江国へ行き、父の遺骸を探した。

 卑しい老女が道案内して遺骸を見つけることができた。老女は顕宗天皇の宮に呼ばれ、置目老媼(おきめのおみな)と名づけられた。

 顕宗天皇崩御の後、兄の意祁王(おけのみこ)が24代仁賢天皇(にんけんてんのう)として即位した。

 

印南神吉   メールはこちらへ  nigihayahi7000@yahoo.co.jp  


by enki-eden | 2022-09-25 13:11