応神天皇の皇子・皇女に「鳥」の名
応神天皇の皇后・仲姫(なかつひめ)は大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、16代仁徳天皇)、根鳥皇子(ねとりのみこ、大田君の先祖)を生んだ。「さざき」は「スズメ目ミソサザイ科ミソサザイ属」。
妃の弟姫(皇后の妹)は紀之菟野皇女(きのうのひめみこ)を生んだ。「きのう、木の菟」は「みみずく」のこと。
妃の宮主宅媛(みやぬしやかひめ)は雌鳥皇女(めとりのひめみこ)を生んだ。
妃の糸媛は隼総別皇子(はやぶさわけのみこ)を生んだ。
仁徳天皇陵は大阪府堺市の百舌鳥耳原中陵(もずみみはらのなかのみささぎ)と云う。
日本武尊(やまとたけるのみこと)の白鳥陵(しらとりのみささぎ)は、三重県亀山市能褒野町(のぼのちょう)、奈良県御所市冨田(ごせしとみた)、大阪府羽曳野市(はびきのし)に白鳥三陵として宮内庁が管理している。
大鷦鷯尊が生まれた日に「ミミズク」が産殿(うぶどの)に飛び込んできた。同じ日に武内宿禰の妻が出産し、「ミソサザイ」
が産屋(うぶや)に飛び込んできた。これは天のお示しで吉祥だと喜び、飛び込んできた鳥の名を付け、お互いの子の名
を交換した。
それで太子の名が「ミソサザイ」の大鷦鷯尊となり、武内宿禰の子は「みみずく」の木菟宿禰(つくのすくね、平群臣の先祖)
となった。
15代応神天皇(363年-403年)も敦賀の氣比神宮(けひじんぐう、越前国一宮)に参詣したときに、氣比大神(伊奢沙別命、いざさわけのみこと)と
名を交換した。
仁徳天皇(大鷦鷯尊)が、異母妹の雌鳥皇女を妃にしようと異母弟の隼総別皇子を媒(なかだち)として説得に当たらせたが、隼総別皇子がこっそり雌鳥皇女を自分のものにしてしまった。
隼総別皇子は雌鳥皇女に、「ハヤブサ(隼総別皇子)とミソサザイ(大鷦鷯天皇)はどちらが速いか?」と尋ねた。雌鳥皇女は「ハヤブサが速い」と答えた。隼総別皇子は「だから自分の方が、手が早かった」と言った。
隼総別皇子の舎人等が「隼は飛びかかって鷦鷯を取ってしまいなさい」と歌っていた。
これを聞いた仁徳天皇は怒り、兵を送って隼総別皇子と雌鳥皇女を殺させた。
印南神吉 メールはこちらへ nigihayahi7000@yahoo.co.jp

