富雄丸山古墳②
奈良市丸山1の富雄丸山古墳の北東部の造り出し部から国宝級の盾形銅鏡(長さ64cm、幅31cm、重さ5.7kg)と蛇行鉄剣(237cm、幅6cm)が昨年11月に出土した。
富雄丸山古墳は3段構造で径109mの国内最大の円墳で、4世紀後半に築造された。その時代は、神功皇后(321年-389年)から15代応神天皇(363年-403年)に移る頃であった。
「富雄丸山古墳の斜縁神獣鏡」をご参照ください。
墳頂に埋葬された被葬者と、墳丘北東部にある造り出し部に埋葬された被葬者があり、今回の出土物は造り出し部から発見された。
毎日新聞ニュースをご覧ください。
https://mainichi.jp/articles/20230125/k00/00m/040/126000c
2世紀頃の当地は大国主系の長髄彦(ながすねひこ、登美比古とも云う)が統治していたが、西暦185年頃に饒速日(にぎはやひ、160年頃-220年頃)が九州から大和へ東遷してきて、長髄彦は饒速日に従っていた。
饒速日は長髄彦の妹・御炊屋姫(みかしきやひめ、長髄媛、登美夜比売とも云う)を妃とし、宇摩志麻治(うましまじ)が生まれた。
西暦209年に磐余彦(いわれひこ、181年-248年)が九州から大和へ東征、長髄彦は抵抗したが饒速日は磐余彦に服従し、大和の支配権を譲った。
磐余彦は211年に橿原(かしはら)で即位した(初代神武天皇)。
饒速日が大和盆地を支配していたのは西暦185年頃から209年までで、磐余彦(神武天皇)に支配権を譲ってからは各地に国造が任命されていった。
富雄丸山古墳の2km南の奈良県大和郡山市矢田町965に矢田坐久志玉比古神社(やたにいますくしたまひこじんじゃ)が鎮座。
祭神は、櫛玉饒速日神(くしたまにぎはやひのかみ)と妃の御炊屋姫神(みかしきやひめのかみ)。
饒速日が磐船に乗って飛来したというので、大空を司る航空の神様(航空祖神)として信仰されている。
「饒速日の墳墓」をご参照ください。
印南神吉 メールは nigihayahi7000@yahoo.co.jp