三屋神社(みとやじんじゃ)①
島根県雲南市三刀屋町(みとやちょう)給下(きゅうした)に「三屋神社(みとやじんじゃ)旧跡地」があり、松本古墳群の2号墳上に社があったと云う。
雲南市三刀屋町は旧・出雲国飯石郡(いいしのこおり)にあり、出雲国風土記には「伊毘志都幣命(いびしつべのみこと)」が天から当地に降臨したので地名を伊鼻志(いびし)にしたと記されている。
45代聖武天皇の神亀3年(726年)に伊鼻志を飯石(いいし)と改めた。
伊毘志都幣命が「降臨した」と云うのは当地で「生誕した」と云うことでしょう。
三刀屋町多久和(たくわ)106に飯石神社が鎮座、祭神は伊毘志都幣命で、伊毘志都幣命が降臨した磐石をご神体としている。
日本書紀の「出雲の国譲り」では、天照大神と高皇産霊尊が大己貴神(おおなむちのかみ、大国主神)と国譲りの談判をするために天穂日命(あめのほひのみこと)を派遣した。
素盞嗚尊が西暦200年頃に亡くなり、卑弥呼(179年-247年、天照大神②)が女王となった西暦201年に「国譲り」が実行された。
国譲りの談判に派遣された天穂日命は復命しなかった。次に大背飯三熊之大人(おおそびのみくまのうし)を派遣したがこれも復命しなかった。
次に天稚彦(あめのわかひこ)を派遣したが大己貴神の娘・下照姫(したてるひめ)を妻として復命しなかった。
最後に径津主神(ふつぬしのかみ)と武甕槌神(たけみかづちのかみ)を派遣して、やっと強制的に武力的に大己貴神とその子の事代主神に国譲りを認めさせたとある。
古事記にも神名は違ってもほぼ同じ内容が記されている。
しかし、三刀屋町多久和の飯石神社の由緒では、天照大神の第二の御子である天穂日命の御子が当社祭神の伊毘志都幣命(いびしつべのみこと)で、天夷鳥命(あめのひなとりのみこと)、武夷鳥命(たけひなとりのみこと)とも云う。
国譲りに際し、三穂崎(みほがさき)に事代主神を訪ね大業を成就したと伝えられている。
天穂日命の御子の伊毘志都幣命を祀っている飯石神社が、事代主神に国譲りを決断させたのは伊毘志都幣命だと伝えている。
径津主神と武甕槌神が大国主神を強制的に説き伏せてしまったので、伊毘志都幣命が慌てて三穂崎に行って事代主神の承諾(追認)を得たのかもしれないが・・・
印南神吉 メールは nigihayahi7000@yahoo.co.jp

